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若手作家(5)加藤遼子/谷口ナツコ [アート論]

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2005 東京工芸大学芸術学部 デザイン科卒業
2007 文化学院 版画研究科 在学中

[個展]
2005 「水銀アイスキャンディー」 日本橋 gallery unseal 
2006 「水銀氷山暦」 日本橋 gallery unseal

[アートフェスティバル]
2003 GEISAI#3
    GEISAI#4(産経新聞スカウト賞、NADiffスカウト賞受賞)
    GEISAI#MUSEUM
2004~2006 GEISAI#5~#10
    GEISAI#10で東京ガールズコレクションとのコラボレーション

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《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

 

《想像界》の美術、気体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィエ(記号内容)の美術

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

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GEISAIから煙突少女でデビューしてきた加藤遼子は、

ロッカクアヤコほどではないにしろ注目を浴びた少女画家でした。

GEISAI以前の初期作品を見ると、《1流》性を持っていたのです。

初期には才能のある画家であったと言えますが、それが社会適応の

中で、この《1流》性を維持できなかったのです。

それが、すべてを《第6次元》に還元して行く集団病である、

日本社会《6流》病のひどさなのです。

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《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョンの絵画』【A級美術】

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谷口ナツコ

1968 北海道、旭川生まれ
1988 北海道総合美術専門学校 (現;北海道芸術デザイン専門学校)
北海道在住 


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《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、絶対零度の美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ/シニフィアンは不明(シーニュ性が無いもよう)
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
谷口ナツコの特徴は《絶対零度の美術》であることです。

これは固体美術というより以前の、原始状態なのです。

この手の絵画の始まりは日本の敗戦と深く関わっていて、

私の知っている限り
岡本太郎の1949年の重工業という作品から始まります。

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岡本太郎 重工業(1949年)
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、絶対零度の美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ/シニフィアンは不明(シーニュ性が無いもよう)
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この岡本太郎の後、河原温、池田龍雄にひきつがれて、
実に多くの戦後日本現代美術の作家が、この絶対零度の美術作品を
作ります。
それは岡崎乾二郎のペインティングにまで至るのです。
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岡崎乾二郎
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、絶対零度の美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ/シニフィアンは不明(シーニュ性が無いもよう)
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
岡本太郎の絵画が持っているドギツさというのが、
私が《絶対零度の美術》という言い方で示している、
農業革命以前の自然採取状態の原始時代を指し示します。

つまりアボリジニのような原始時代は、5万年間変わらない生活をして
いたと言われますが、そのように変化しない社会、つまり歴史が存在し
ない社会というのを比喩として、絶対零度で空気まで凍っていて、氷河
も流れないという状態だと言うのを例えて言った言葉です。

つまり岡本太郎は、重工業という作品からですが、
独特の下品で過剰な不快感のある作品になりますが、
あれが絶対零度の原始状態まで表現を押し戻した表現なのです。

岡崎乾二郎の、ベチャットした絵の具を貼付けた様なペインティング
というのも、原始状態までに絵画を押し戻した、ものなのです。

谷口の絵画の下品な過剰さと、岡本太郎、岡崎乾二郎のペインティング
は、通じるものがあるという、これまた彦坂尚嘉流のわけの分からない
主張なのですが、以下の画像で、少しだけでも私の言う感じを分かって
いただければと思います。

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岡崎谷口.jpg

この3人の絵画は、描かれているものが違うにもかかわらず、

絶対零度の美術という、原始美術であると言う意味で、

お似合いのところがあるのですが、

少しでも、感じていただけたでしょうか。

これらは、現代の原始美術なのです。








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若手作家(4)カンノサカン/塩保朋子 [アート論]


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カンノサカンの作品(部分)

カノンサカンは、ラディウムーレントゲンヴェルケの作家です。
以下は、その解説文です。

カンノサカン(1970年生)は、キャンバスにウレタン塗装を施した、磨き上げられた車体の様な表面に、極細の筆で緻密に描かれる抽象画で知られています。

国内での圧倒的な人気を博しているカンノは、本年、香港でのアートフェアでの高反応、台湾での個展即日完売と、海外での活動を次々に大成功させ、海外においてもその地位を確立させつつあります。

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カンノサカン

《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント


《想像界》の作品、気体美術

実体的美術、合法的美術、

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィアン(記号表現)の美術

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

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芸術的には評価はできない。

ある種の工芸作品と言える。

ポロックを工芸化した作品というべきもの。


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塩保朋子

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塩保朋子は、スカイザバスハウスの作家です。

切り紙の作品を大規模化しています。

SCAI THE BATHHOUSE

塩保朋子「Cutting Insights」2008年8月29日(金) - 9月27日(土)

1981年生まれの塩保朋子は、京都市立芸術大学で彫刻を専攻。大学卒業後の2005年に第6回SICF(Spiral Independent Creators Festival)にてグランプリを受賞。2006年には越後妻有アートトリエンナーレでの福武ハウスにて作品を展示、2007年VOCA展に選出、また本年は五島記念文化賞 美術新人賞を受賞するなど確実に活躍の場を広げ高い評価を得ています。来年には五島記念文化賞の助成を受けて向かう中国、ヨーロッパでのリサーチ・制作を控えて今後の深化がますます期待される塩保朋子の、待望のSCAI THE BATHHOUSE初個展となります。

学生の時に、大学構内のぎしぎしの葉の葉脈の繊細でありまたダイナミックな形に魅せられてその葉脈を1本1本カッターで切り抜いてみたことが、現在の作品のきっかけとなったという塩保朋子は、”自然”をテーマに作品を制作しています。その表現は主に、大きく広い紙をカッターナイフで細かく切り込み重ねられるカッティング作品、特殊な合成紙をハンダごてで溶かして穴を空け、イメージを紡くハンダ作品、及びアクリル絵の具や木炭などによるドローイング作品という、 どれもごく繊細な手の仕事の反復によって展開されています。
長い年月を掛けて繰り返される自然のリズムと一体となるかのように、小さな刻みを営々と積み重ねることで生み出される壮大なスケールの作品インスタレーションは、その場の空気や光の流れを取り込んで一体化し、その空間を抽象化された自然そのもの、奥行きのある自然の気配として立ち現わせます。
自然を通して仏教や禅などに通じる宇宙の真理を追求する世界観を表現したいという塩保の作品インスタレーションの空間では、作品の中に自然の気が流れ、空気や光の粒子が生き生きと踊るように感じられます。それは
二次元の紙を切り抜いて、”空”を素材に空間そのものを刻む新しい彫刻の試みの反映ともいえるでしょう。

今回SCAIでの初個展 「Cutting Insights」 (心眼を開く・物事の真実の姿を見抜く)は、高さ6メートル、幅3.5メートルの広い紙が細かく切り込み重ねられ、静かに波打って現れるインスタレーション作品を中心に、新作のハンダ作品、アクリル絵の具、及び木炭によるドローイングを発表します。真に大事なものとして心眼に感じられた、音を立てるように沸き出てくる命、昇華して循環する命の力強く躍動的なイメージで立ち上がる塩保朋子の新しい空間への試みに是非ご期待下さい。

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《想像界》の眼でデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の眼でデザイン的エンターテイメント

《現実界》の眼でデザイン的エンターテイメント


《現実界》の美術、気体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》


実体的な美術、合法的美術


《原始平面》、手芸美術、【B級美術】

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特徴的なのは、《現実界》の美術である事です。

美術を《現実界》に還元する事自体を、

現代アートの深い意味であると考えている人たちは、

いますから、塩保朋子の作品も、そういう位置づけはあると思います。


《現実界》に還元した作品と言うのは、

それなりの刺激性はありますが、

見ている人間の中に意味を構成しません。

塩保朋子の作品は無意味なのです。

意味がありません。


つまり会場で彼女の手仕事の圧倒的な迫力を感じても、

その見るという行為が、観客の生きている体験として、

意味構成をしてこないのです。


ブラジルの作家のネトの場合も、同様の《現実界》の作品ですが、

体験はして、面白いのですが、意味の無い物なのです。


もう一つの問題は、これだけの手仕事をしながら、

それが工芸というか、デザインワークというか、

私的な感性に満ちた《真性の芸術》としては作られていないと言う

事です。


カンノサカン/塩保朋子の2人は、共通して、

ポロックの工芸化を目指したかの様な、手間ひまをかけた、

職人仕事というか、手芸というか、根気仕事を展開するのですが、

工芸としては美しいにしろ、新工芸というべき物を超える、

《真性の芸術》がもつ作家の私的な感性と私的な歴史性を欠いて

いるのです。

それは、何故なのか?


そもそも何故に、このように手芸のような制作になるのか?

それは芸術に対して、実はこの二人の作家は理解していなくて、

こうした手間をかける手芸性で、自身の作品を保証しているからです。


芸術の基本に、《芸術的省略》《芸術的節約》という価値観があります。

工芸と芸術を分ける精神の基本的な分水嶺の一つが、

この《芸術的省略》《芸術的節約》なのです。


どれほど過剰な制作をしていても、この省略と節約への視線が重要です。


この事の意味を、この2人の工芸作家は理解できていないのです。

だからこそ、手間ひまの手芸性に、全力を費やしているのです。

そして工芸的な美しさが、人々を魅了し、賞賛されるのです。

しかしそこには《真性の芸術》がないのです。



 

 

 

 


 



 


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若手作家(3)山本太郎の《1流》A級絵画[加筆4改稿2] [アート論]

某所より、電話がかかって来て、
「山本太郎の評価は、意外だ。
山本太郎は下手で、仕事も粗い」というご批判をいただいた。

田嶋奈保子さんの時にも、
作品が下手だという批判はもらっているのだが、
たしかに彼女は武蔵美術大学のガラス出身で、絵画の教育は受けていない。

私からすると、巧いと言う評価の高い山口晃や会田誠が、
下手に見えるのであって、評価する価値観が違うのです。

一番極端な例を上げると、私はフェルメールを下手な画家だと思って
いる。もっとも、昔、芸術新潮でフェルメール特集をした時に、私と
同じ事を言っている人がいて、共感したことがある。しかし、多くの
人は、フェルメールを巧いと思っているようだ。それは絵画の全体を
見ていないからだし、絵画構造に無知だからにほかならない。

しかし、あらゆる目利きは間違えると言う事も事実です。グリンバーグ
もカラーフィールド・ペインティングは間違えている。ケネスクラーク
になると、やたらに間違えている。白洲 正子の眼は《第6次元》に過ぎな
い。青山 二郎の眼も《第1次元》に限られているし、中国物は《21流》
を多く買っている。言おうとしているのは、目利きの確率をいうのは、
野球のバッターと同じで、10割はあり得ないと言う事です。かならず、
間違いはある。だから彦坂尚嘉も間違える。だからこそ、間違えを恐れずに、
他人を説得できない内容でも、自分の責任で、果敢に評価をして行く。

とりあえずは、そういう反論で止めておいて、
山本太郎についても、田嶋奈保子についても、
私が意見を変えざるをえなくなれば、強弁をしないで、
報告はします。


しかし現在の時点では、下記に書いているように、
オプティカル・イリュージョンが、やや弱いにしても、
成立していて、私は《第1次元》の絵画として、
描けていると評価しているのです。 

最初の回の若手作家で《第6次元》が多かったこともあって、
《第1次元》を2人見つけて、それなりに強調をしたく思いました。
私自身は《第1次元》が好きなわけではなくて、《超次元》や
《第41次元》、つまり《超1流》や《41流》が好きなのです。
だから、ほめておいてなんですが、山本太郎を押しているというの
でも無いのです。言っているのは《第1次元》で、《透視画面》で
あり、非実体的であり、そして非合法性や《退化性》をもっている。
そういう事実を言っているのです。
 
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《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術

《透視画面》『オプティカル・イリュージョンの絵画』【A級美術】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

伝統的なものと、電信柱を合わせて描くと言う事は、
須田国太郎も戦中にやっている。
画像を探したのだが、須田の代表作だが、
見つからなかった。
五重塔と電信柱に裸電球が描いている。

こういう題材は、私たちの日常性として、
前近代の古典と、産業社会の日常品とのミスマッチな混在という
リアリティに他ならない。

山本太郎の作品を和物のパロディ絵画として見るだけではすまないのは、
こうしたミスマッチなチグハグさが、
実は農業化社会という固体社会と、
産業革命を経た産業化社会の液体社会の2重性が生む、
チグハグさとして現実だからにほかならない。
このことは日本固有の現象ではなくて、ローマでも見られるし、
ロンドンでも見られる現象なのであります。

たぶん、情報革命が本格的に1991年に始まって、
私たちは情報化社会という別の次元に立ったからこそ、
農業化社会の日本の古典と、産業化社会の電柱やケンタッキーフライド
チキンといったものを同時に過去として対象化して描くことができる
ようになった。もはや両方が過去であり、
古典として等価になったのです。

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山本太郎


1974
熊本県生まれ
Taro Yamamoto
1999
ニッポン画を提唱
 
2000
京都造形芸術大学美術学科日本画コース卒業
 
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|主な個展|
1999
「ニッポン画」(複眼ギャラリー・大阪)
 
2001
「天晴レ日本°」(日下画廊・大阪)
 
2002
市中の庵「米村庵」(複眼ギャラリー・大阪)
 
2003
両A面展「火鳥風月/動食彩絵」(立体ギャラリー射手座・京都)
「ニッポン画大全」(Pepper's Gallery・東京)
「平成美人画曼荼羅」(美容室マンダラ・京都)
 
2004
「住吉ニッポン画詣」(ストリートギャラリー・神戸)
「涅槃?-NIRVANA?-」(Pepper's Loft Gallery・東京)
 
2005
「Who's clothes?-誰ケ袖-」(立体ギャラリー射手座・京都)
「銀の波 金の星」(銀の波/ひかり蔵・金沢)
 
2006
「ヒーロー来迎 HERO Ray GO!」(ギャラリーレイ・名古屋)
「日本°画屏風祭」(立体ギャラリー射手座他京都市内9会場) 
「水泡の恋〜長谷雄草子より〜」(ニュートロン・京都)
 
2007
「ビューティフルニッポン」(ストリートギャラリー・神戸)
「誰ソ彼日本°」(銀の波箔座・金沢・元麻布ギャラリーTOYAMA/富山)
 
2008
イムラアートギャラリー(京都)
「風刺花伝」高島屋 美術画廊(新宿・京都)
 
2009
山本太郎展 (美術館「えき」KYOTO)
 
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|主なグループ展|
1993
「1人展×5」(画廊喫茶ブラウン・熊本)
 
1997
「タブララサ展」(四条ギャラリー・京都)
 
2000
「MIXEDUP」(複眼ギャラリー・大阪) 
「私が描く21世紀の美術館展」(スペースレインボー・熊本)
 
2002
「DISCOVERIES-GROUP1」(フローレンスリンチギャラリー・ニューヨーク)
 
2003
「日本画は死んだか?」(浮遊代理店・奈良) 
「みつば展」(よつばカフェ・奈良)
 
2004
「京都府美術工芸新鋭選抜展」(京都文化博物館・京都) 
「小さな古い家のために」(複眼ギャラリー・大阪及び大野邸・奈良)
 
2005
「ニュートロンに初詣」(ニュートロン・京都) 
「日本画ジャック」(京都文化博物館) 「アナザームーブメント」(金沢)
 
2006
「二人の太郎は同じ初夢を見るか?」(ニュートロン・京都) 
「『砂の女』と現代の美術」(京都芸術センター) 
「キラキラジェネレーション」(ギャラリーレイ・名古屋) 
「混沌から躍り出る星たち2006」(ギャラリーオーブ・京都/スパイラルガーデン・東京)
ニッポンvs美術 (大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室・大阪)
 
2007
VOCA(上野の森美術館) 
KIAF(韓国国際アートフェア)(COEX・ソウル 韓国) 
「日本画滅亡論展」(Cスクエア/中京大学・名古屋)
「美術のボケ展」(CASO/大阪) 
「RANGA-現代蘭画-」(フォーエバー現代美術館/秋田)
 
2008
「日本画の精華−江戸から現代まで」 (富山県水墨美術館/富山)
 
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|受賞歴|
1999
第四回昭和シェル石油現代美術賞入選
 
2000
フィリップモリスアートアワード2000入選
 
2007
VOCA2007 VOCA賞
 
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|その他|
2007.7-9
新作狂言「狂言なんかこわくない」
 
 
演出・脚本・出演:わかぎゑふ 出演:茂山正邦 茂山童司 茂山あきら
舞台のトラップに紅白幔幕図を原画に使用 (沖縄・大阪・滋賀・奈良などを巡回)
 
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|主なコレクション|
 
日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社
第一生命保険相互会社

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《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術

《透視画面》《非-実体性》《退化性》《非合法性》
『オプティカル・イリュージョンの絵画』
【A級美術】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
作品的には、山口晃との関係が問われるだろう。

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山口晃
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、固体(前近代)美術。

《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山口晃の絵画を「うまい」という評価が高いが、
それは絵の部分を見て言っているのであって、
絵画の全体を見て、その空間の構造性を見ると、
かなりひどいものなのです。

それは単に細かいからと言うものではなくて、
絵画を構造としては考えないで、単に細部のイラストレーションに
捕われているからです。

山本山口.jpg
山本山口2.jpg
山本太郎                  山口晃
《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン

想像界》《象徴界》《現実界》の      《想像界》の美術
     3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態     固体(前近代)美術
        をもつ多層的な表現

シリアス・アートハイアート     《気晴らしアート》《ローアート
シニフィアン(記号表現)の美術       シニフィエ(記号内容)の美術

透視画面》                《原始平面
オプティカル・イリュージョンの絵画』   『ペンキ絵
A級美術】                【B級美術


アイディア的には、山口晃に約10年遅れて出発している和物絵画だが
作品の画格的には、山口晃の《6流》に対して、
山本太郎が《1流》であるので、亜流とは言わなくて良い。

作品の格を上げた場合には、模倣とは言わないというルールがある
のです。

《第6次元》から《第1次元》へと、
こうした和物のパロディ絵画が、発展をして来ていると言えます。

絵画的には、オプティカル・イリュージョンが出ていて、
《第1次元》の《真性の芸術》になっている事を、
高く評価します。
もうちょっとオプティカル・イリュージョンをきれいに出して欲しい
という感じはしますが・・・
こういう絵画の専門家としての批評が、今日の美術批評から消えてし
まっているところに、日本の現代アート界の深い問題があります。
ともあれ、山本太郎の作品は、《シリアス・アート》で、
《ハイアート》なのです。

この場合、画題のジョーク性から、《気晴らしアート》だと思う人が
いるだろうと思うのですが、私の言っている意味は、
絵画構造の組み立てとして《シリアス・アート》になっていると
言う事です。

同様な事は、ケンタッキーを使っているから《ローアート》だと
考える方がいるかもしれませんが、世俗的な主題に下降して来ている
のは、美術史の大きな流れであって、和物のパロディという主題性
そのものが、絵画としてきちんとした構造性を持って描かれていれば、
それは《ハイアート》になり得るのです。

つまり《シリアス・アート》《ハイアート》と言う区分は、
主題に対してではなくて、絵画構造や芸術構造そのものに対して、
《シリアス》であるかの問題なのです。
山本太郎は絵画や芸術構造に対してシリアスな美術家であり、
それに対して山口晃は、《気晴らしアート》《ローアート》系の
画家であるのです。だから人気があるのです。
多くの人は、きばらしを求めているのですから。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この山本太郎を《1流》の《シリアス・アート》であると評価すること
を彦坂尚嘉がしているなどということを、藤枝晃雄先生が知れば激怒
なさるかもしれないし、彦坂を信用しないと言われるだろうと思う。

しかし国宝である雪舟の四季山水図から、能面の雪の小面、さらには
日本刀の銘備前国包平作(名物大包平)、書の藤原佐里の『恩命帖』 

私の皇居美術館空想という作品の中で示したこれら古美術から、
現代の若手の作品、
そして無名の新人の作品までを
統一した一つの方法で芸術分析をするというのが、
彦坂尚嘉の新美術批評なのです。

それは、当然のように海外の作品にまで及びます。
それが帝国美術館物語という作品です。
ブッシュが作ったというマンハッタンの帝国美術館に、
世界中の《超1流》の《超次元》作品を集めようという構想です。
当然、世界中の美術をチェックしなければならない。

何よりの特徴は、画像で判断して行くという
情報化社会の方法だと言う事です。

旧現代美術批評家は、
今日のインタネットに対応を欠いている人が、
多いのです。

美術批評は、複雑系の現在の美術状況に対応するものに、
改革されなければならないのです。

しかも厳密性をもった主観の学問としての、
一貫性が必要なのです。

しかし内部改革は不可能だと、判断します。
美術界の外部で、新しい知性を求めて、教育活動をする。
それが立教大学大学院での私の授業の目標です。

日本の美術評論家の多くが《自己愛》性人格障害者です。
だから、美術について探求をしていかない。
彼らは、ただひたすら自分の蛸壺にこもっている。
ナルシズムに溺れているのです。
彼らは美術を、学問としての蓄積しないし、厳密さも追いかけない。

《自己愛》性人格障害者ではない、美術の知性が必要なのです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
次のカンノサカンに続く

タグ:山本太郎
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若手作家(2)長谷川冬香の《1流》A級絵画/天明屋尚(改題) [アート論]

クボユンさんからのリクエストのあった若手作家の芸術分析を
つづける。
今日会ったAさんからは「《6流》が多いですね」と言われたが、
日本は《第6次元》の多さでは、異常な国なのです。
中国は《第21次元》がほとんどでしし、
フランスは《第1次元》が多いなど、国別の特徴はありますが、
健康なのは《第6次元》と《第1次元》がバランスよくあって、
さらに《超次元》や《第41次元》がある状態です。

さて、今回最初の若手は《1流》のA級絵画です。

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《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術

《透視画面》
『オプティカル・イリュージョンの絵画』
【A級美術】
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長谷川冬香



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《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術

《透視画面》
『オプティカル・イリュージョンの絵画』
【A級美術】

武蔵野美術大学系の油彩画である。よく描けている。
特徴的なのは、『深いイリュージョン』の絵画にしないで、
オプティカル・イリュージョンの絵画を描いている所だろう。

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上の作品などは、深いイリュージョンで描けば描ける構図だが、
それを微妙に起こして来て、オプティカル・イリュージョンの絵画
にしている。

明治以降の日本画には、きれいなオプティカル・イリュージョンの
絵画はたくさんあるのだが、油彩画では、少ない。

ベットの絵や、女性の頭部を後ろから描いた絵画と言うのも、
見た事がないもので、独創性はあると思う。

白っぽいピンクの絵画というのも、ありそうで、なかった。
このスタイルを維持しつつ、レベルのアップを探求していければ、
素晴らしいと思う。
《第1次元》の絵画から、《超次元》の絵画へと飛躍するのは、
生易しいものではないが、精進して欲しいと思う。

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天明屋尚(1966年〜43歳

主な受賞歴

第11回日本グラフィック展 審査員賞(1990年)
JACA’97展 特別賞(1997年)
URBANART#8展 リキテックス賞(1999年)
第8回リキテックス・ビエンナーレ展 奨励賞(2001年)
第6回岡本太郎記念現代芸術大賞展 優秀賞(2003年)
作品集

ジャパニーズ・スピリット (学習研究社 2003年)
傾奇者 (PARCO出版 2004年)
Tenmyouya Hisashi (河出書房新社 2006年)
KAMON TENMYOUYA HISASHI」 (KING OF MOUNTAIN 2007年)
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《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、固体(前近代)美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の美術

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天明屋尚の作品は、固体美術、つまり前近代性をもった
典型的なイラストレーションであるといえます。
芸術的には、なにも評価できるものはないのです。
横尾忠則の焼き直しと言えます。

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天明屋尚                 横尾忠則
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン  《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン  《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン  《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン

《想像界》の作品、固体(前近代)美術。  《想像界》の作品、液体美術
《気晴らしアート》《ローアート》     《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の美術       シニフィアン(記号表現)

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】   《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

横尾忠則が、近代美術で、シニフィアン(記号表現)であるのを、
天明屋尚は、前近代美術におしもどして、
そのくせシニフィエ(記号内容)の美術にしているのです。
芸術的には退化しているのですが、これを循環系に入ったとも言える
かも、しれません。
情報化社会のアートの一つのパターンだからです。
同じ様な前近代の固体性を示してヒットしたのは、吉本ばななの
物語小説でした。
その意味では天明屋尚は、イラスト界の吉本ばなな なのです。

吉本ばななが、どれほど世界中で売れようが、すぐれている文学とは
言い得ない様に、天明屋尚のイラストもまた、すぐれた絵画では、
ありません。
両方とも、前近代性への循環性と退化性を示す事で、
この情報化社会の気体化した不安定性の中で、
固体という安定性故に、人々を引きつけているのです。



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若手作家(1)ロッカクアヤコ /松浦浩之 /櫻井りえこ /松山賢/ 増井淑乃 /福永大介[加筆1改題] [アート論]

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 以下のようなコメントを頂きました。

 はじめまして。大変興味深く拝読いたしました。
 私、最近になって若手現代アートの作品のコレクションを始めたのですが、自分の気に入って買った作家さんや、購入を検討している作家さんの作品が暴落するのをみるたびに、自分が作品を買うことに自信がなくなってきました。そのような折、先生のブログがとても深いところで参考になっております。
 後学の為、参考までに以下のような若手作家についての先生のご意見をお聞かせいただけませんでしょうか。先生の気になるお方だけでもぜひお願いいたします。
ロッカクアヤコ、鈴木雅樹、松浦浩之、桜井りえこ、松山賢、増井淑乃、福永大介、長谷川冬香、天明屋尚、山本太郎、カンノサカン、塩保 朋子、加藤遼子 、谷口ナツコ、池田学、名和晃平、大畑伸太郎、大庭大介、大谷有花 
by クボユン (2009-01-28 07:38)  

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 リクエストをいただいたので、あくまでもそれに対してお答えしようということで、書きます。今日の金融危機の中での美術市場の変化には、興味があるからです。

 念のためにお断りしておきますが、私の芸術分析は、あくまでも、昔は「印象批評」と言われていたもの発展形態であって、情報化社会の複雑系の印象批評なのです。ですから私の個人の審美眼を通して行われる主観的な芸術分析ですから、私見なのです。

 私見ではありますが、私の主観の中では恣意的なものではなくて、厳密な学問として方法化されています。《超次元》から《第41次元》までの42段階での格付けを基本に、《言語判定法》を使ったもので詳細を究めることが出来ます。しかし、現実的には、簡略化して作業を進めます。

ロッカクアヤコ

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GEISAIから出て来た、今日の若手の、
代表的な作家なのでしょう。受賞歴は以下の様なものです。
  • GEISAI#4 スカウト賞
  • 第8回エネルギー賞入選
  • GEISAI#9 後藤明男賞
  • GEISAI#10 スカウト賞

1982年生まれで、バーゼルのアートフェアなど、
大きく海外展開している作家です。

2006年

  • NADA ART FAIR (マイアミ・アートフェア)
  • GARELIE AAA (パリ・個展)
  • GEISAI #10 (東京・アートフェア)
  • TOKYO GG NIGHT (東京・イベント)
  • TOKYO GIRLS COLLECTION (東京・ファッションショー)
  • VOLTA show02 (バーゼル・アートフェア)
  • GEISAI #9 (東京・アートフェア)

 

  •  

2007年

  • ART SINGAPORE (シンガポール・アートフェア)
  • GALERIE MODERNE (デンマーク・個展)
  • ART AMSTERDAM (アムステルダム・アートフェア)
  • ART COLOGNE (ケルン・アートフェア)
  • GALLERY DELAIVE (アムステルダム・個展)
  • ART AGNES (東京・アートフェア)

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ロッカクアヤコ
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、気体美術
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

ロッカクアヤコの作品の場合、一見したところ、
ペインタリーーで、しかも少女の主観的な個人性に依拠した作品に
見えるのですが、実はデザイン・ワークにしかなっていないのです。
フロイトの言う《退化性》がありません。

段ボールを使い、手で描くなどしているにも関わらず、
シニフィエ(記号内容)の美術で、物質化がされていないと言う所も、
外見とは裏腹のものです。
しかしそれが新しいとは言えます。

ここ2年のアートバブルの頂点を代表する
歴史的モニュメント作家ですね(笑)。
これだけ海外展開をし、有名になり、価格も高額化しているので、
暴落してもゼロにはなりませんが、
簡単に10分の1以下の価格にはなる可能性はあるだろうと思って
見ていました。

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鈴木雅樹
私の知らない作家で、しかも
画像が、見つかりませんでした。
画像と経歴をお送りくだされば、芸術分析はいたします。
hiko@ja2.so-net.ne.jp

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松浦浩之
1964年 東京生まれ 
1984年 グラフィックデザイナーとして活動。

広告、パッケージ、装丁、ロゴデザイン等を手がける
海外でも評価の高い、東京画廊がMother Galleryのアーティストです。スピード感がある作品が特徴です。
推定落札金額(リンク先の作品の場合) 100,000HK$~(日本円約150万円~)


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松浦浩之
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、気体美術
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

この人は、経歴的にもまったくのデザイナーで、
ただアートバブルに乗っかって出て来た作家ではないでしょうか。
状況が変われば、別の仕事で食べて行く人でしょうね。

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櫻井りえこ

1977 茨城県水戸市生まれ
1999 名古屋芸術大学美術学部絵画科卒業

[個展]

2004 FACE=SURFACE?展 (ギャラリーSAZA/茨城県ひたちなか市)
2005 FENCE GALLERY (京成百貨店建設予定地工事現場フェンス/茨城市水戸市)
2007 SOMETHING GIRLY (アートワークスギャラリー/水戸市)

[主なグループ展]

2002 '00年代の表現 (泉画廊/茨城県水戸市)
2003 SMALL WORKS EXHIBITION (アートワークスギャラリー/水戸市)
2004 ミニアチュール展(アートワークスギャラリー)
    Artless Art 展 (アートワークスギャラリー)
2005 SPROUT2 展 (アートワークスギャラリー) SPROUT賞受賞
    「われらの時代」展 (水戸芸術館現代美術ギャラリー/水戸市) 
    ミニアチュール展Ⅱ (アートワークスギャラリー)
2006 ダイヤローグ展 (県民文化センター/水戸市)
    GEISAI#9 (東京ビッグサイト) スカウト審査員賞受賞(電通・後藤明男賞)
    第27回グラフィックひとつぼ展 (ガーディアンガーデン/銀座)
    Tokyo CG Night (カイカイキキ/中目黒CLASKA)
    「情念のようなもの」展 (アートワークスギャラリー)
    NADAアートフェア (カイカイキキ/マイアミ)
    カレンダー展 (アートワークスギャラリー)

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櫻井りえこ

《想像界》の眼で《第8次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、気体美術
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

櫻井りえこの場合は、《第8次元》ですね。信仰領域で、一応芸術性は
持っています。シニフィアン(記号表現)の美術でもあるので、
作家としては、このまま水平飛行で、続いて行くでしょうね。

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一家7人銃で心中 [歴史/状況論]

自殺者が増加しているようです。

ロスアンジェルスの一家7人銃で心中した事件は、
夫婦がともに医療スタッフとして勤務していた病院から解雇を言い渡され、
その際に「なぜ働きに来るのか」と問い返されたうえ、
「頭を撃ち抜いた方がいい」といわれ、
侮辱的な言葉を浴びせかけられた結果でした。


<米国>夫婦で失業悲観、一家7人銃で心中…ロサンゼルス

1月28日21時33分配信 毎日新聞

【ロサンゼルス吉富裕倫】米ロサンゼルス市で27日、夫婦と子ども5人の一家7人の遺体が発見された。直前に夫とみられる男性が、勤務先を解雇されたことを苦に無理心中すると予告するファクスを地元テレビ局に送っていたことから、ロサンゼルス市警は夫が家族を銃で射殺した後、自殺したとみて調べている。

 遺体で発見されたのは、市内の病院に勤務していた医療技術者夫婦と2〜8歳の子ども5人。テレビ局に送った2ページのファクスで夫は「夫婦そろって病院を解雇された」と訴えた。また自宅にも「仕事に関連した問題」と書かれたメモが残されていた。

 カリフォルニア州は08年12月の失業率が9.3%と、前月から1カ月で1%近く上昇し、景気の悪化が深刻化している。

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首になって、職を失って路頭に迷い、
自殺へと追い立てられている人々には、
この金融危機をまねいた責任は、どこにも無いのです。

責任の無い人に、犠牲が押し付けられて、
自殺に追いやられ、
その自殺も自己責任であるという、
自己責任論が押し付けられる。
これが正しい事なのでしょうか?

<元派遣社員死亡>1年間職なく所持金90円、

        餓死か 大阪

1月16日12時37分配信 毎日新聞


 大阪市住吉区苅田のワンルームマンションの一室で14日、住人の無職男性(49)が死亡しているのが見つかり、餓死した可能性が高いことがわかった。男性は元派遣社員で、約1年前から無職だった。府警住吉署によると、発見時、室内にあった所持金は財布の中の90円だけ。冷蔵庫には何も入っていなかった。

 マンションの管理会社や関係者によると、男性は05年5月、この部屋に入居。神戸市の会社と契約し、銀行でコンピューター関係の仕事をしていた。年収は約450万円と申告し、月3万9000円の家賃の滞納もなかった。

 しかし、約1年前に無職となり、昨年1月から5カ月分の家賃を滞納。管理会社が督促すると、徳島県の実家から援助を受けて支払った。男性は管理会社に「長い間、病気で仕事ができない」と漏らしていた。

 昨年11月から家賃が再び滞り、管理会社が今年に入って男性宅を訪ねるなどしたが、応答がなかった。14日に社員が室内に入って遺体を発見、同署に通報した。

 行政解剖の結果、男性は死後約1カ月。胃腸に残留物はなく、低栄養状態だったことなどから、餓死した可能性が高いという。

 発見時、男性はパイプベッドに横たわり、毛布をかぶった状態だった。室内には飲食物のゴミなどはなく、冷蔵庫には飲み物すらなかった。【村松洋、井上卓也、青木絵美】


会社の経営者こそが、責任があるのであって、
多くの利益を上げて来た企業の、その蓄積してきた
利益をそのままにして、
派遣労働者の首が切られるという事態は、
責任の無い他者をエスケープゴートにして、
責任の転嫁をするということです。
企業が、仮面をかぶった暴力団であるといいうことにほかなりません。

すでに別のブログで書いた様に、
社会というものが、
仮面をかぶった暴力団であると言う事が露呈化して行くと、
事態を恐ろしい領域へと進めるものです。

正義を欠いた社会構造は、崩壊するのです。

世界の失業者2億3100万人…

     経済悪化続けば、ILO推計

 【ダボス(スイス東部)=大内佐紀】国際労働機関(ILO、本部・ジュネーブ)は28日、金融危機に伴う世界経済の悪化が続けば、2009年の世界全体の失業者数が最悪で2億3100万人にのぼると推計する報告書を公表した。

Click here to find out more!

 報告書によれば、07年の世界の失業者は、推計で労働人口のうち5・7%にあたる約1億8000万人。米国発の金融危機により、多くの先進国で景気が後退したため、08年には暫定推計値で労働人口の6%にあたる1億9000万人となった。09年には、この比率が6・1~7・1%に上昇すると予測している。

 各国が打ち出した景気刺激策や雇用創出計画が順調に機能する最良のシナリオでも、09年の失業者は推計1億9800万人。現状が続けば、初めて2億人を超えるのは必至だ。

(2009年1月28日21時13分  読売新聞)
2億人を超える失業者を出した責任は、
誰にあるのでしょうか?
首を切られ、路頭に迷っている人々に責任は無いのです。
責任の無い人々に、犠牲を転化する社会は、正当性を欠くものです。
正当性を欠いた社会が、成立するものではありません。
この最下層の人々の抵抗する権利は、正当なものです。
それがどういうレベルで展開されるにしても、
その人々の抵抗と死の中で、時代は変わり、
そしてまた社会構造そのものが変わって行くのです。

社会の基盤と言うのは、実は最下層の人々なのです。
弱者をないがしろにしすぎて、
最下層の人々が行き場を失うとき、
社会は崩壊して行きます。
根本的な変動が起きるのです。

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ラム/Lambのアンディ・バーロウ [ロック]

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イギリス、マンチェスターで1995年に結成された2人組のラムの、
ベスト版を、遅まきながら聞いています。

かなり奇妙な音です。
それはこのバンドが2人組なのですが、
その二人の音楽性がかなり違うからなのです。
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年齢差のあるバンドです。
女性が年上で、9歳違います。
デビューした1996年で、
女性のボーカリスト・ルイーズ・ローズは29歳。
男性のコンポーサーのアンディ・バーロウは20歳。

この初期の音が、素晴らしいです。
アルバムのトップにあるCOTTONWOOL(1995)は良いです。
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ボーカルのルイーズは、
「愛情や、生きる喜びといったものを歌にしたい」という考えが
あったそうです。ところが、コンポーサーのアンディの方
「ダークで、愛情なんてほとんど感じられないような、ポップじゃないもの
を作りたい」という正反対の方針があったというのです。

そのため、Lambという音楽は、
ブリストルドラムンベース、ダークなエレクトロミュージックに通じ
る破壊的で暴力的なサウンドを持つと同時に、ボーカルは、希望や愛情、
平和といった歌詞を歌う《第3次元》の世界が展開されているという
ミスマッチの独自の音楽を得たというのです。

私がひかれるのは、ダークなエレクトロミュージックに通じ
る破壊的で暴力的なサウンドの部分です。
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私は、ボーカルのルイーズ・ローズは、《3次元・コミュニケーション領域》
の人で、まあまあで、正直言うと、興味が無いのです。
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感動しているのは、コンポーサーのアンディ・バーロウの方で、
ラップトップを使ったクラブミュージックをメインに、
生のパーカションを多用するなどドラムンベースユニットとしての
音楽性なのです。

《想像界》の耳で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の耳で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の耳で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
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バンドとしては4枚のオリジナルを出し、
ベストを1枚、
そしてリミックも出して、
終わっているのです。


タグ:ラム lamb
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紺泉と中川晋介、ステラ/辛美沙(下)[加筆校正6] [アート論]


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想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の作品

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 中川晋介さんについては、良くは知らない。先日の第13回アートスタ
ディーズを聞いて下さって、2次会にも出席してくれた。
 そこで、この自分の制作した封筒を、見せてくれて、「彦坂さんだった
らデザインというでしょうね?」というから、芸術分析をして,「そんなこ
とはありません。《超1流》ですよ」と答えた。
 こういう封筒で、どうみても常識的にはデザインワークにしか見えない
ものを、このように《超次元》の《真性の芸術》として評価して、しかも
《シリアス・アート》で《ハイアート》であるとなどと言うと、人聞きが
悪いというか、信用を失うこと確実で、世間体を気にすれば、言わない方
が良いと言うことになる。国宝級の名品だけを語っていれば良いのだ。

こういう社会的な常識で見るという事が《第1次元》の領域の視界です。
常識で見れば、中川晋介の封筒は、封筒であって、芸術ではない。

《第1次元》の世界が、【常識の広がり/シニフィエの連合】です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

話を、このブログの(上)で説明したことを繰り返す事から、
始めます。

つまりビールであるBièreのシニフィエの類似性からは、

Vin(ワイン)、Whisky (ウイスキー)、Cognac(コニャック)など

を連想するのが、【常識の広がり/シニフィエの連合】です。

こういうタイプの類似性が、常識を形成しています。

この領域では、ですから言葉というものが常識的に決定されています。
ビールに対しては、ビールという言葉が対応するだけ、と言えるほどに
単純化されるのです。

それは抑圧であると言えます。
無意識的な《詩的》な連想が、抑圧されているのです。

ビールと言う言葉を聞いて、「」を思ってはいけないのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり【詩的領域/シニフィアンの連鎖】を、抑圧しているのです。

フランス語のビールであるBièreという言葉は、

シニフィアンの類似からは、

Bière(棺)、pierre(石)、tieres(第3者)と連鎖し得るのですが、

こうした【詩的領域/シニフィアンの連鎖】を、

社会的理性であり常識世界である《第1次元》領域は、抑圧している。

【常識の広がり/シニフィエの連合】だけで、《詩的言語》を排除する
のが、社会的理性であり、常識なのです。

ですから、この《第1次元》の世界で、美術批評を成立させようと
すると、すでに有る批評を模倣した文章になるという、
そういう連鎖になります。

たとえば李 禹煥はすばらしい作家であるという批評が成立していると、
次に批評を書く人は、既成の批評を疑わずに、
同じ様に、李 禹煥は、素晴らしい作家であると書くのです。

3番目の人も、無批判に、疑う事を知らずに、
同じ様に、李 禹煥は素晴らしい作家であると、書くのです。

こうした模倣の連鎖が、無限に、疑いも、検証もなしに続くのです。
ですから、退屈な文章の連鎖になり、批評無き、日本の現代美術世界
が成立するのです。

近代哲学では、すべてのものを懐疑するというのが基本的な方法です。
ところが、この《第1次元》では、哲学の方法が使えなくなるのです。
疑うのではなくて、社会常識を信じて繰り返すことだけが、
正しい事になるからです。こうして社会は閉じるのです。

哲学無き日本の現代アートの世界は、同義反復の空虚な世界であり、
退屈なのです! そして閉鎖している。

せいぜい、この常識を極限まで増大いさせる事が目指されます。
それがチンポムであったのかもしれません。チンポムが破綻したのには
こうした同義反復のメカニズムが無関係ではなかったと、私は思います。
チンポムと会田誠氏が、困って針生一郎氏のところに相談に行ったそ
うです。「日本の現代美術は10年遅れている」と批判したチンポムが、
会田誠氏と、老いた美術評論家連盟会長に相談しに行く所が、なんとも
同義反復的な自己撞着した閉鎖性を示しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【常識の広がり/シニフィエの連合】だけで、芸術を考えるというのは、
普通に行われています。そこには懐疑がないし、検証がないのです。
それが1991年から2000年代の現代アートの熱狂と金融と結びついた
バブル化を作り出して来たのです。この1991年以降のアート状況を、
アートインダストリアルと呼んで、次のような本が書かれています。


アートフェア東京のエグゼクティブ・ディレクター 辛美沙氏の
著作『アート・インダストリー/究極のコモディティーを求めて
(美学出版)です。
副題の「コモディティ化」とは、「商品」の意です。芸術作品を、
一般消費財のように安く手に入れられ日用品化するという意味で用いら
れます。つまり芸術作品が、商品化して、誰でも簡単に買えるように
るということです

そういう意味では中川晋介の封筒も、誰でも買えものです。  事実、三月
末まで渋谷の和カフェ kurage で、販売しています。 

つまり 中川晋介の封筒は、「コモディティ化」されていて、現代アート
のトレンドに上に乗っているのです。いや、もしかすると、「コモディ
ティ化」されているものをアートと、考えているのかもしれません。
そうした時代に、本質的になったのです。

この本『アート・インダストリー/究極のコモディティーを求めて』は、
なかなか笑える本です。とえば、
「アートマケットのないところに美術史など存在しない」と言うのです。

「アートマケットのないところに美術史など存在しない」と言うのなら、
まずアルタミラの洞窟画も美術史から削除しなければならないだろうし、
現在においても、アートマーケットに組み込まれない所で描かれている
作品は、美術史に、永遠に記述されないことになります。

ところが美術史というものは、そういうものではないのです。美術市場
に入っていない作家の作品でも、すぐれた芸術性の作品であれば、将来
美術史的な評価は起きえるのです。たとえば、江戸時代に江戸の商品世
界の外の、北海道の山奥の洞窟に、捨てる様に置かれていた円空の仏像
群は、美術史の中に入ってきたのです。

同様にして1990年代美術史は、再発見されて記述され得るのです。
1950年代の美術史も書き直しは行い得るのです。さらには20世紀日本
美術史は、再記述される必要があるのです。美術史は、何よりも学問で
あって、学問そのものは、あくまでも市場の外に存在します。

このことは重要です。現在の様に、市場があらゆる所に、割り込んでも
なお、《市場の外部》は存在するのです。美術史は、《市場の外部
存在するのです。そして実は、市場は、《市場の外部によって実は支
えられているのです。外部性を失ったとしたら、それは崩壊します。
現在起きている金融危機の根本的原因は、そこにあります。

「アートマケットのないところに美術史など存在しない」という、
市場の外部を見ない、こういう不用意な発言をする人の精神は、
信用はできませんが、現在の美術界の《第1次元》性を、良く示して
はいるのです。この著者・辛美沙氏の顔を見てみましょう。
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辛美沙の顔
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的人物
《象徴界》の眼で《第21次元》のデザイン的人物
《現実界》の眼で《第7次元》の《真性のビジネス人》

《想像界》の人物、気体人間。
《気晴らしアート的人物》
《ローアート的人物》
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こういう風に、顔の分析をすると、《第7次元》というのはビジネス
領域ですが、ここでは《真性のビジネス人》で、辛美沙氏は、ビジネス
面に限れば、すぐれている方だと思います。

《想像界》の《第6次元》は自然領域ですので、普通の人と言うべき
人物です。

《象徴界》というのは、モラルの領域ですが、《第21次元》というの
は、ドブ泥の人生の欲の世界です。金銭欲や愛欲、名声欲、地位欲など、
さまざまな人間のどぶ泥の欲望が、強い方なのかもしれません。

《真性のビジネス人》として辛美沙氏は、
ビジネスにすぐれている人だろうと私は判断しますが、
しかしこういう人に、美術史が分かるのでしょうか?
美術史を真に理解しない人が、「アートマケットのないところに
美術史など存在しない」などという軽率な発言で、人々を惑わせるという
のは、いかがなものかと、思います。

言い換えると、このような軽薄な発言の上に、
つい、この前までの、アートバブルは乗っていたのです。

辛美沙氏は、
美術作品が「値下がりして喜ぶものはだれもいない」というのですが、
これも不用意の発言であって、私は、たとえば、
李 禹煥の作品が、暴落しているのを聞いて、喜んでいます。
中国現代絵画の値下がりの報道を聞いても喜んでいます。

芸術的にすぐれていない作品が値下がりして、関係者が損をして
痛い目にあうことを喜んでいる人は、実はたくさんいるのです。
人数的には、かなりの人々が、「それ見た事か!」と、
喜んでいるのです。
あんな、安易な作品で、億もするのは、おかしいと、
誰もが感じていたのです。
あんな《第21次元》の下品なデザイン画が、億もするのは、
おかしいと、多くの人が思っていたのです。

しかし、どれほど暴落しても、ゼロにはなりません。
評価も、消えるものではありません。
美術史と言うのは、玉石混合で、不純に多様に、続くのです。

辛美沙氏には、しかし、そうした《市場の外部》の現実が見えない
視野狭窄があるから、
「値下がりして喜ぶものはだれもいない」などという能天気な
戯れ言を、著書の中に書くのです。
市場の外部が見えていないのです。
こういう馬鹿げたアートインダストリーワールドを
苦々しく思っていた多くの人々が、見えていなかったのです。
こういう辛美沙氏的な偏狭な視野が、《第1次元》の領域です。

この《第1次元》という領域だけに、住んでいる人たちがいます。
この人たちを研究して書かれた本が、
アメリカの偉大な精神科医のM・スコット・ベックの著作です。
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星島貴徳被告の顔 [顔]

国内

【神隠し公判求刑】(2)恐怖感、痛み、絶望感、無念…「怒りの涙を禁じ得ない」涙声の検察官(10:15〜10:30)

1月26日12時3分配信 産経新聞


【神隠し公判求刑】(2)恐怖感、痛み、絶望感、無念…「怒りの涙を禁じ得ない」涙声の検察官(10:15〜10:30)

被害者の東城瑠理香さん(写真:産経新聞)

 《男性検察官は両手を後ろで組み、はっきりとした口調で東城瑠理香さんを殺害後、遺体をバラバラにした星島貴徳被告の犯行を断罪していく》

 《「第4 死体損壊・死体遺棄の様態は壮絶かつ悪辣であること」。法廷の両壁面に設置された大型モニターにこう書かれた画面が映し出された。検察官は瑠理香さんの遺体を切り刻んだ星島被告の極悪非道な犯行を浮かび上がらせていく》

 検察官「瑠理香さん殺害後、遺体を解体…。それぞれを自己に不利益なモノとして扱った。両腕、両足から肉をはぎ取り、まな板の上で刻みました。臓器を取り出し、まな板の上で切り刻みました…。解体後に残った骨は、悪臭を抑えるため、鍋でゆでました」

 「人間としてではなく、モノとして解体したのです…。人間が同じ人間に対して到底できるものではありません。人を人とも思わない鬼畜の所業です。瑠理香さんの遺体をトイレに流し、少しずつ、通勤途中のゴミ捨て場にゴミとして捨てたのです。(瑠理香さん殺害から)2週間もたたぬうちに、瑠理香さんの存在を完全に消し去ったのです」

 「5月28日、下水道管を下流にたどると、被害者の最初の遺体として肋骨(ろっこつ)の一部が見つかりました。わずか数センチメートルの長さの骨片でした。1カ月以上も汚水の水流に耐え、まるで探し出されるのを待っていたかのような骨片は、それ自体が忍耐強かった被害者の悔しさ、無念さを訴えかけてくるかのようです…。遺族の胸には激しい怒りと悲しみ、喪失感と無力感がいつ果てるともなく去来するに違いありません」

 「本件のように、殺人の犯人が、被害者を殺害する前から、その死体を解体し、遺棄して被害者の存在を消すことによって完全犯罪を計画し、これを実行した事件においては、事件全体として評価し、死体損壊・遺棄行為を殺人事件の情状としても十分に考慮すべきです」

 《検察官は、昭和54年に北九州市小倉北区の病院長が男2人に殺害され、遺体をバラバラにされた上、現金が奪われた事件の説明を始めた。被害者が1人の場合、極刑を免れるケースが多いが、この事件は被害者1人に対し、死刑が宣告されたケースだ》

 検察官「殺害後、計画通りに消され(殺され)、遺体を解体して捨てれば、事件が闇に葬り去られる可能性もあり非常に悪質です。解体して投棄し、瑠理香さんさんの存在を消す。しかも、他に類が見られないほど、細かく刻みました。非情です!」

 《今度は大型モニターに「第5 本件犯行の結果が重大であること」という文字が映し出された》

 検察官「瑠理香さんは英語を熱心に勉強し、留学中に英語の教員資格を取得し、大学を首席で卒業し、留学費も奨学金やアルバイトなどでまかなっていた。美術やファッション関係の仕事を目指し、知識を吸収していた…。わずか23歳で、この若さで1つしかない命を永久に奪われた」

 「瑠理香さんは努力家で、目標に向かってがむしゃらに頑張る人でした。希望に満ちた女性でやりたいこともたくさんあったでしょう。結婚して男の子をもうけたいともいっていました…。瑠理香さんは旅の途中でした。その人生を被告人は根こそぎ奪ったのです!」

 《検察官は事件当日の4月18日夜の瑠理香さんの行動を振り返る》

 検察官「(瑠理香さんは)午後7時半ごろ帰宅しました。瑠理香さんにとっていつもと変わりない平穏な生活の一コマでした…。カギをかけるわずかな時間があれば、いつものように楽しく過ごすことができたはずです…」

 「いつもと違っていたのは、一つ置いて隣の918号室の玄関ドアに隠れて被害者を待ち伏せていた被告人が突然玄関内に押し入り、襲ってきたことです…」

 《検察官は、これまでの公判で明らかにしてきた瑠理香さん拉致から殺害、遺体の損壊までの一連の犯行を振り返った。説明の途中で絶句し、感極まったのか、涙声のように聞こえるシーンもあった》

 「被害者の恐怖感、痛み、苦しみ、絶望感、そして無念に思いを致すとき、遺族でなくても、怒りの涙を禁じ得ません!」

    =(3)に続く

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山田花子(タレント)の顔 [新・美人論]

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山田花子が交際を告白! お相手は一般男性

1月26日14時47分配信 サンケイスポーツ


山田花子が交際を告白! お相手は一般男性

「よしもとプリンスシアター」のオープン発表会見で、彼氏の存在を告白した山田花子(中央)(写真:サンケイスポーツ)

 お笑いタレントの山田花子(33)が26日、都内で開かれた会見の中で男性との交際を告白した。吉本新喜劇で共演の多い石田靖(43)が「浅野忠信似」と証言、花子は「(交際で)舞台がおろそかになります!」とウキウキだった。

 この日の会見は、吉本興業が東京・品川プリンスホテル内に4月25日にオープンする「よしもとプリンスシアター」の発表。桂文珍(60)ら吉本お笑い芸人勢13人が出席したが、石田が「花子にはカレがいます。シアターの話どころじゃないんです」と暴露した。

 花子は元日放送のテレビ東京系番組などで、一般男性と交際10カ月目と既に明かしていた。結婚は?と問われると、石田が花子になりかわり「挙式はプリンスホテルで!」。花子は「プリンス万歳!!」とトボけたリアクションで笑わせていた。 



山田花子の交際の報に接して,良かったと思う。
お祝いを申しあげたい。
恋人見つかって、おめでとうございます!

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山田 花子は、1975年 生まれ、大阪府出身のお笑いタレント。吉本興業所属。
大阪の毎日放送「4時ですよーだ」に素人として出演した事をきっかけに、
中学在学中からタレント活動をはじめたという人。

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さて、山田花子の顔である。

《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の美人》
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン系美人
《現実界》の眼で《第8次元》のデザイン系美人

《想像界》の美人。
固体(前近代)の美人。
《気晴らし美人》
《ローアート系の美人》

美人としては《第41次元》美人ですね!
固体美人というのも、納得の美人分析です。

《第41次元》というのは、根源的な暴力領域。
戦争とか、処刑などです。
ただし、お隣の《第40次元》はスポーツ領域ですから、
芸能人で《第41次元》美人というのは、ありということでしょう。

《第6次元》というのは自然領域。
山田花子の天然性を指し示しています。

《第8次元》というのは、信仰領域ですが、
マイナー領域でもあります。
大阪系の泥臭さが売りというところなのでしょうか。

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モンゴル美人
《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の美人》
《象徴界》の眼で《第6次元》の《真性の美人》
《現実界》の眼で《第8次元》の《真性の美人》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な美人
固体(前近代)の人。
《シリアス美人》
《ハイアート美人》

真面目に言って、
私はこのモンゴル美人を美しいと思います。
《第41次元》の根源的暴力性と、
固体性という前近代性が、《真性の芸術》として輝いている!

Wikipediaによると、
モンゴル人にとって山田花子の顔はダントツ人気の、
理想的な美人顔であるといいます。

山田花子は、モンゴル美人だったのです!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この視点は、新鮮ですね。
山田花子を美人としてみる事で、
私の美人論も新しい次元に入った様な気がしました。
それが何であるかは、まだ分かりませんが、
井上章一 の『美人論』 (朝日文芸文庫)の単純系美人観を否定する
複雑系美人論を切り開ければと思います。




タグ:山田花子
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