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デュビュッフェ/生の芸術 [アート論]

Jean Dubuffet22.jpg
Jean Dubuffet21.jpg

デュビュッフェの顔である。
《イメージ判定法》で、《8流》。
《言語判定法》で、《6流》。
《現実判定法》で、《6流》である。
《現実界》だけの人。《想像界》《象徴界》の人格が無い。
液体の人。つまり近代人です。


Jean Dubuffet7.jpg

Jean Dubuffet8.jpg

ここに並べたのは、初期の良い作品ですが、こうした美術作品は《6流》です。
その特徴は、まず、原始平面上の絵画で、本物を最初に沢山見たのは、
昔のニューヨーク近代美術館でしたが、その絵画は、異様にフラットで、
全体に過剰に完成されていて、工芸品を思わせるものがありました。
作品としては、《現実界》に絵画が還元されています。
《現実界》の作品の代表は、デシャンの便器の作品ですが、
これと同じ次元に、絵画が還元された状態なのです。

皆さんを説得できない意見なのですが、
これらの作品は、まず、実体的ですので、
芸術ではなくて、エンターテイメント作品です。
さらに説得できない意見ですが、
これらは、彦坂尚嘉の《言語判定法》で見ると、
合法的です。つまりデュビュフェの私的で、
個人的な感性が表出されていなくて、
ある種のデザインワークなのです。
こうした作品をデザインであると言う私の意見は、
とても信じてもらえないかもしれませんが、
普通のデザインとは確かに違うのではありますが、
狂人や未開人が描いたイラストという風の、デザイン画なのです。

Jean Dubuffet1.jpg

《イメージ判定法》で、《8流》。
《言語判定法》で、《6流》《8流》。
《現実判定法》で、《1流》。

なるほど、《現実判定法》で《1流》なのですね。
そういう意味で、《1流》作品と言える訳です。
《現実界》の作品であって、《想像界》《象徴界》はありません。
この作品が分かりやすいですが、《偶像崇拝性》を強く持っています。
ハイアートではなくて、ローアートです。
《シリアス・アート》ではなくて、《気晴らしアート》です。
実体的ですから、エンターテイメントであって、芸術ではありません。
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それともう一つ、彦坂尚嘉の視点であるところの、
固体/液体/気体という、水(H2O)の3様態の比喩で言いますと、
《絶対零度》状態の作品です。
絶対零度というのは、物質における温度の下限です。
0 K(ケルビン)と表されます。 摂氏でで表せば-273.15℃です。
《絶対零度》状態の作品というのは、
自然採取の原始社会の美術に見られるものなのですが、
その原始的な表現が、文明の中に出現したという絵画が、
デュビッフェの作品なのです。
絶対零度の作品。つまり原始美術です。
これは現代美術ではないのですよ(笑)。

《絶対零度》の原始美術ということと、
作家個人の私的感覚が出ている《非合法性》、
そして個人の歴史性が出ている《退化性》という質が、
矛盾する様なのです。
デュビュッフェの作品に、《非合法性》《退化性》が無い様に、
アフリカの原始美術にも、《非合法性》《退化性》はありません。
ですから彦坂尚嘉の視点で見ると、原始美術というのは、
デザインワークであるということになります。
このブログでも書いて来た様に、デザインワークこそが、
人類の美術の基礎なのであると言う事は、
こうした歴史的な事実からも言えるのです。
そうした論理を敷衍すれば、原始美術こそが、
美術の基盤であると言うことになります。そうした主張が、
デュビュッフェの《アール・ブリュット=生(き)の芸術》です。

実を言うと、私自身は、学生時代にデュビュッフェに魅了されましたが、
入り口は『美術手帖』の口絵であって、
本物を見るのは、1975年、そして1982年まで、
待たなければなりませんでした。
本物の作品を見ると、まず、異様な平面性と、
工芸性が鼻について、疑問を感じる様になります。

それと、画集を買って、生涯の作品展開を見ると、
晩年、作品の質が落ちてきます。

作家が制作を重ねて、晩年に至るという事は、
経験が集積して行く訳ですから、
晩年の作品が偉大なものへと成長して行かないという事は、
文化としての蓄積性を欠いていることになります。

日本の美術家には、こういう例が多くて、
若い時には西洋美術の流行を取り入れて、
それなりに先端の美術作品を作るけれども、
歳をとると、保守的になり、創造性も失われ、
凡庸で、粗雑な作品をつくって死ぬ。
岡本太郎もこういう展開をしますし、
萬鉄五郎も同じ様な、つまらない晩年の作品になります。
デュビュッフェの作品展開を見ると、経験の蓄積性が文化を作り出し、
高度にして行くと言う構造を欠いている事が見えるのです。

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アール・ブリュット=生(き)の芸術》、
あるいはアウトサイダーアートの問題は、
一見すると芸術の深い根拠の様に、見えます。
ヘンリー・ダーガーの作品も、図版で見ると面白いのですが、
本物を実見すると、芸術ではなくて、
心理的な混乱の産物でしかないことが、了解されるのです。
『アウトサイダーアート展』は、
世田谷美術館で1993 年に開催された
「パラレル・ヴィジョン−20世. 紀美術とアウトサイダー・アート」が、
総合的なものでありましたが、これを見て、私は、
デュビュッフェの主張したアール・ブリュット=生(き)の芸術》というのが、
芸術の根拠にはならない事を、理解し、納得したのでした。










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