2への移行/1のまとめ(加筆1) [アート論]
美術品の善し悪しについて(立教大学大学院講義・言語多文化学習・第1回目の1/校正1) [アート論]

美術作品の良し悪しの判断っていうのは、大変に難しいのです。多くの人は、専門家も含めて、実は良く分からないというか、判断ができない状態にいます。
にもかかわらず、現実の中での流行や、多くの人々の表面的な直接の反応の中で、評価が生まれて、さらにそこに時間が流れて、時間の中での淘汰によって、ある意味で自然に評価が定まっていくというものなのです。
それは、本当に自然に似ていて、雨が降って、その雨水が、低い方に流れて行って、雨粒が自然に集まって行って、小さな川になり、その小さな川が次第に集まって、大きな川になるように、美術作品の評価が定まって行きます。
ですから、評価そのものの決定には、時間がかかります。多くの人々の判断が、その時間の流れの中で影響し合いながら、進んで、決まって行くのであって、そうした自然性は無視できない力を持っています。
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ブログ2への移行 [アート論]
ネオテニー・ジャパン展を見てきました。 [アート論]
阿修羅展を見ました。 [アート論]
アクセス数1万4千390/4回合計 [アート論]
4回で、1万4千390となっています。
題名をクリックするとラジオが聞けます。
最初のは、聞きやすいです。
しかし、後のものは、私はコンピューターのスピーカーで聞いていると、
ノイズで、聞こえはしますが辛い面もあります。
どうも、多くの人はダウウロードして、iPotなどで聞いている様です。
そうすると、それほど問題がないようです。
その辺の仕組みを私は、良く勉強していないので、
知りたい人は、松田逹さんのサイトを読んで下さい。
http://radio.tatsumatsuda.com/
2/12-5/15、データアクセス数3258
建築系ラジオの新年会で、新企画の美術系ラジオについて話した部分です。美術家の彦坂尚嘉さんが中心になって企画する予定。建築と美術の境界を横断しつつ、視覚と触覚との関係性から、美術系ラジオの可能性を考えます。美術と建築が、いかに対話すべきか。そしてその違いはどこにあるのか。また美術に詳しくない建築関係者に向けても発信します(2008年1月11日、箱根の田村誠邦さんの別荘にて)。
●美術系ラジオ
(MP3形式、8.7MB、12分36秒)
3/7-5/15、データアクセス数2672
美術系ラジオ、記念すべき第1回目。竹橋にある国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展を見学したあとでの収録。コラージュをめぐって、建築と美術という両面から考える。キーワードとして、クルト・シュヴィッタース、ジョセフ・コーネル、村山知義、マネ、エルンスト、横尾忠則など(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
●美術系ラジオ
24B:コラージュから見た建築または美術(その2)
(MP3形式、11.2MB、16分14秒)
3/7-5/15、データアクセス数2615
美術系ラジオ、引き続き第2回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂+天内×五十嵐+南で話します。コーリン・ロウの『コラージュ・シティ』を読み、さらなる対話へ。キーワードとして、コラージュ・シティ、コーリン・ロウ、ブリコラージュ、ダイハード、ミラージュ・シティ、空中都市計画、磯崎新、シュヴィッタース、糸崎公朗、バーナード・チュミ、コールハース、プログラムのコラージュ、青木淳の卒業設計など (2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
美術系ラジオ
25A::コラージュから見た建築または美術(その3)
(MP3形式、12.1MB、17分36秒)
3/19-5/15、データアクセス数2285
美術系ラジオ、引き続き第3回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂尚嘉+天内大樹×五十嵐+南で話しています。キーワードとして、建築の中のコラージュ的なもの、建築の三層構成、富士屋ホテル、金閣寺、藤森照信、磯崎新、つくばセンタービル、隈研吾、M2、石井和紘、同世代の橋、安藤忠雄、木村恒久、ブログ、著作権、コラージュ化する地球、宮沢りえ、MIA、妊娠、エヴァンゲリオン快楽原則、シンクロ性、チャンス・オペレーションなど(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
美術系ラジオ
26D::美術系ラジオ企画編ー美術と建築のコラージュに向かって
(MP3形式、11.4MB、16分37秒)
4/14-5/15、データアクセス数1995
美術系ラジオの番外編として、今後の計画を語っています。美術系ラジオの意義とは何で、また建築系ラジオ内で行う意味は何だろうか?そして今後の方向性とは。美術館や学芸員、またアーティストや研究者とのジョイントの可能性。建築を除いて美術を考えることは出来ないのではないかという問いも提示される。美術館の中で語ることは、美術館という制度によって禁止されるのか否か?美術系ラジオという可能性をめぐって、「美術と建築のコラージュへ」と話は展開する(2009年2月15日、東京国際フォーラム近くの居酒屋にて)。
美術系ラジオ
27A: :美術系ラジオ第4回「アートフェアって?」
(MP3形式、16.9MB、24分39秒)
4/20-5/15、データアクセス数1565
近頃メディアで目にする言葉「アートフェア」。誰にでも買えるよう、オークションではなく市場のように美術作品を売るところです。中でも東京最大級の「アートフェア東京2009」(@東京国際フォーラム)を一通りくまなく探検してきた濱田+五十嵐、その前に「101Tokyo」(@秋葉原UDX)も見てきた天内が、アートフェアの「中の人」池田+彦坂、美術メディアの太田、美術家の田嶋に「どうなっているの?」とお尋ねします。以前開かれていた同種のイヴェント「NiCAF」、「アートフェア東京」の傾向、「建築フェア」はあり得るか、コンセプトとコンテントと市場(2009年4月5日、東京国際フォーラムのカフェにて)[テキスト:天内大樹]
出演者:彦坂尚嘉+天内大樹+五十嵐太郎+池田剛介+太田丈夫+田嶋奈保子+濱田由美
関連サイト
アートフェア東京
美術系ラジオ/気体分子オフミュージアム(校正1画像位置変更) [アート論]












ルドルフ・シュタイナーの《第8次元》性と芸術(訂正写真の差し替え) [アート論]






長野重一の写真/外界を見る精神の被写界深度(加筆1) [アート論]

日本の自画像
写真が描く戦後 1945-1964
2009年5月2日~6月21日 1階展示室
を拝見しました。
高橋直裕氏がテキストを書いておられて、
かれが作ったと思われる良い展覧会でした。
その中で、長野重一の写真に強い感銘を受けました。
不勉強で、この写真界の重鎮の写真家を知らなかったのです。

この写真集を会場の売店で買いました。









こういう日常的な凡庸とも言える《ローアート》のスナップ写真が、
すばらしクオリティも持って制作されている事に、
驚きがありました。

この手の《ローアート》のスナップ写真と言うので、
日本で評価の高い写真は、何と言っても木村 伊兵衛です。
木村 伊兵衛は、顔写真で見ると、《超次元》ですが、
写真の方は、《第1次元》なのです。

木村 伊兵衛の写真


土門拳にも同様のことが言えます。
顔では《超次元》なのですが、
初期の『筑豊の子供たち』などのスナップ写真は《第6次元》です。
下の図版は『筑豊の子供たち』ではありませんが、
これも1950年の撮影で《第6次元》です。

土門拳の写真
《象徴界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》
《想像界》のみの写真
液体写真のみの表現
《気晴らしアート》《ローアート》
《非-実体性》のある写真
シニフィアン(記号表現)の写真
《原始平面の写真》『ペンキ絵』的写真【B級写真】
土門拳と長野重一を比較してみます。

二人の写真を明度を51上げて、コントラストを71上げてみます。

土門拳の《第6次元》の写真と、
長野重一の《超次元》の写真の構造の違いが見えるでしょうか。
土門拳の写真は、対象の傷痍軍人のオブジェクト性に集中していて、
長野重一の写真は、世界の構造を深く捉えているのです。
ここでは3人を単純化していますが、
長野重一は《超次元》の《超1流》写真家であると、
彦坂尚嘉の視点では、なります。
そして木村 伊兵衛は《第1次元》の《1流》写真家、
初期・土門拳は、《第6次元》の《6流》写真家なのです。
長野重一 《超1流》
木村 伊兵衛 《1流》
初期・土門拳 《6流》
しかし3人ともに、この段階で見ているのは、
すべて《ローアート》の写真にすぎません。
当然のように、《ハイアート》の写真があります。
日本の写真の主流の低さを自覚する必要があるのです。
例えばスティーグリッツの写真を見て下さい。
《ハイアート》です。

スティーグリッツの写真
《象徴界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な写真
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な写真
《シリアス・アート》《ハイアート》
《非-実体性》のある写真
シニフィアン(記号表現)の写真
《透視画面》の写真、『オプティカル・イリュージョン』的写真【A級写真】
アルフレッド・スティーグリッツは、アメリカの写真家です。
画家のオキーフのご主人であり、
そしてデシャンの便器の作品の唯一の写真を撮った写真家で、
アメリカの写真を切り開いた巨人の一人です。
スティーグリッツと土門拳を比較してみましょう。

日本人の多くが、土門拳の写真の方が良いというでしょう。
土門拳は、明快に子供を背負った傷痍軍人という、分かりやすい
主題を、分かりやすく撮っているからです。
それに対してスティーグリッツは、何を撮っているのか、
日本人の多くには理解が出来ないのです。

これは単に色調をモノクロに統一しました。
次には、明度を34上げ、コントラストを87上げて見たものです。

スティーグリッツの撮った橋は、移民船の舟の橋でしょうか。
橋を撮る事で移民の国アメリカを象徴し、
そして画面が橋で2分される事で、橋を挟んでの上流と下流の分解と、
人種の多様性を撮っていると言えるのかもしれません。












