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禅宗とパンク【1】(改題全面改稿) [顔/宗教者]

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ウィリアムズさんから、禅について2つのご質問を下記のように、
いただいています。
出張があって、遅れましたが、私見をお答えします。

こんばんわ。毎回楽しんでblogを拝見させていただいています。毎日の更新を楽しみにしています。
双葉山と大鵬の記述で思い出したのですが 木鶏の事について 大森曹玄という禅僧が「剣と禅」で田舎荘子の猫の妙術と比較して書いていたように思います。大鵬にしても座禅をしていたと聞きます。精神的に自分を殺すトレーニングとして禅が活用されていたのでは?と想像しています。
彦坂様は禅思想を評価しておられないと思いますが このあたりについて考えをお聞かせください。
また禅僧として名高い白隠さんの絵画が六流であるのは 白隠さん自体が六流人間だったのかが気になります。白隠さんは禅僧の世界では評価が高いので..
深い悟りを開いていたはずと思っているのです。
禅僧の顔の評価とも合わせてご意見を伺えたらありがたいです。
もし禅僧の顔が一流なのに禅籍は6流になるとしたらこれはどういう事なのかが気になるところです 
by ウィリアムズ (2009-02-05 07:59)  

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彦坂様 ご返信ありがとうございます。彦坂様のblogでは確か雪舟や雪村は評価が高かったように思います。両者とも禅僧であり画僧であります。また中国の牧溪なども禅僧ですし 
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禅僧ではありませんが禅の世界では書の評価が高い蘇東坡なども禅とは関係が深いかと思います。

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ただ彦坂様のblogを参照しているうちに禅僧関連でも いわゆる原始平面の書画もあるのかなと思うようになりました。白隠さんは日本の禅の中興の祖とまで言われる方で 書も異常なまでの迫力に満ちています。原始平面の6流と分析されてはおりますが 禅定力というものは最高レベルではないかと個人的に思っております。

また話が全く飛んでしまいますが 2001年あたりに「禅と戦争」という本が出版されました。あれを読むと 聖人と言われていた存在が何なのか分からなくなってしまったのです。象徴界が発達していると思われる禅の老師の方々がファシズムに荷担していき 戦争反対勢力はほぼ皆無であった事が非常に気になりました。鈴木大拙は欧米では聖人のように扱われているにも関わらず 戦前の記録を見ると違う側面もある事が気になりました。大拙とよく比べられる西田機太郎博士が確かblogでは超一流となされていましたが そのあたりも気になるところです。
質問ばかりですが ご意見伺えたらありがたいと思います 
by ウィリアムズ (2009-02-06 14:55)  




◆禅宗の問題◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ウイリアムズさんのご質問は、たいへんに鋭いものです。
しかし根本的な誤解は象徴界が発達していると思われる禅の老師
という部分です。

禅の僧侶は、《象徴界》を否定した上に成立しているのです。
太平洋戦争に加担して行くのは、
《象徴界》が、事実上は無いに等しい人格だからです。

禅そのものが、「精神的に自分を殺すトレーニング」であるというのは、
多分、問題を単純化している言い方だと思います。
「自分を殺す」と言う言い方自体は、
間違ってはいないのですが、
意味する事が、違うのです。

ジャック・ラカンによると、
人間の主体性は構造的に《想像界》《象徴界》《現実界》という
3つの領界から成るものです。

彦坂尚嘉の私見によれば、
この構造は、相互に否定の関係にあります。

まず、人間は生まれて幼児の段階では《想像界》に生きています。
子供の精神というのは《想像界》の精神なのです。

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だからおとぎ話や、魔法使いが好きなのです。
それは、しかもイメージの世界です。

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子供は《想像界》の精神だけだから、
絵本や漫画、アニメーションが好きなのです。
絵が無いと、嫌なのです。
《想像界》というのは、イメージの世界なのです。

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この《想像界》の世界を、人類史の中で考えると、
自然採取の原始時代です。

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野蛮と言われる世界が、《想像界》の世界であって、
そこでは偶像が崇拝される呪術が、上部構造を成立させているのです。

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アフリカの黒人彫刻や、オセアニアの未開彫刻と言うのは、
こうした呪術の偶像崇拝の精神が作り出した物で、
これこそが《想像界》の精神領域です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この《想像界》の偶像崇拝の精神を否定した時に、
《象徴界》の言語領域が立ち現れます。

キリスト教、イスラム教、仏教という
世界宗教と言われる宗教は、
呪術の偶像崇拝を否定したところに現れます。

キリスト教や仏教の教義というものは、
戒律として、偶像崇拝を否定しています。

キリストの絵が描かれていたり、仏像があるために、
分かりにくくなっていますが、本来は禁止されているものなのです。

どちらにしろ、日本人が禅宗を考えるとき、
私の考えから見ると、少しですが、基本的な錯誤があるように
思います。

それは宗教と言った時の誤解です。

一昨日から昨日まで、一泊でおじゃました志田寿人さんは、
科学者でいらっしゃるせいか、宗教に対して違和感をもたれている
方でした。

それは理解はできます。
なぜなら、宗教と言うのは、《象徴界》の領域で、
彦坂の考え方で言うとですが、
《象徴界》を否定した時に、《現実界》が立ち現れて、
それが科学の領域だからです。

つまり科学者は、どうしても《象徴界》を否定する立場に
たっていて、それ故に、宗教を否定的に見るのです。

しかしアインシュタインをはじめとして、
欧米のすぐれた物理科学者の根底には、キリスト教の神があって、
神が作りし、自然の探求という性格があります。
しかし科学の中では、神という言葉を使う事をしないのです。

つまり神という言葉を使わないで、自然を探求すると言うのが、
科学であって、
科学は《現実界》ですが、《現実界》というのは、
神という言葉を使う事を否定した時に
立ちあらわれる精神の領域なのです。

こうした科学の《現実界》の出現の仕方と、
禅宗は、実は、似ているところがあるのです。

禅宗と言うのは、宗教ではあるのですが、
《象徴界》の宗教ではなくて、
科学と同様の《現実界》に立った宗教なのです。
つまり《象徴界》を否定した時に現れる精神なのです。

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鈴木大拙は、私も若い時に読みましたが、
文章作品として、私の評価は低いものでした。

鈴木大拙の顔
《想像界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》

《現実界》の人格
固体人間
シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
『真実の人』

禅宗と言うのは、本来、不立文字という形で、
言語による教典そのものを否定して成立しているのです。

つまり世界宗教としての仏教の経典の言葉の領域こそが、
《象徴界》の領域です。
なぜなら、言葉の領域が《象徴界》だからです。

この言葉の領域を否定することで、禅宗は成立します。
それは《象徴界》の言葉を否定する事で立ちあらわれる、
《現実界》の領域だからです。

つまり宗教というのは、言語なのです。
「初めに言葉ありき」というふうに聖書にかいてあるように、
神と言うのは、言語なのです。
それは仏教でも同様な面があって、
言語によって、《想像界》を否定するという構造を持っているのです。

その言語としての《象徴界》を、否定して、
禅宗という宗教が現れます。


鈴木大拙のような、文章により禅に関する執筆そのものが、

禅の本質と矛盾していて、
禅宗本来のものではありません。

読んでみると分かりますが、鈴木大拙の執筆は、
やや、いい加減なもので、完成度において欠けるところがあります。

とは言っても、それは彦坂の私見にすぎず、
もとより鈴木大拙は大きな影響を与えた人物で、評価も高い人物です。

さて、その鈴木大拙の先生が、
鎌倉円覚寺の釈宗演(しゃく そうえん)です。

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釈宗演(しゃく そうえんの顔
《想像界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》

《現実界》の人格
固体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
『真実の人』

さて、こうした禅宗の僧侶と、
浄土真宗の僧侶の顔を比較してみましょう。

浄土真宗は、鎌倉時代初期に法然の弟子の親鸞が、
法然の教え(浄土宗)を継承発展させた教団です。
そこには、日本仏教が、《象徴界》の極限を確立した、
一つの到達点の輝きがあります。

大谷 光瑞(おおたに こうずい 1876〜1948年)です。
釈宗演は1860〜1919年ですので、
年代的には、16歳ちがいます。

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釈宗演(しゃく そうえんの顔        大谷 光瑞(おおたに こうずい)の顔
《想像界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》 《想像界》の眼で《超次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》 《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》 《現実界》の眼で《超次元》の《真性の人格》

《現実界》の人格               《象徴界》の人格
固体人間                    固体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》     《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。        シニフィアン(記号表現)的人間。
『真実の人』                  『真実の人』

大谷 光瑞の顔には、
日本人が至り着いたの《象徴界》の精神の正当性の伝承性が、
生きています。

それに対して、釈宗演(しゃく そうえん)の顔は、
狷介(けんかい)で、凶暴で、野卑、下品です。
禅宗と言うのは、そうしたものなのです。

禅宗と浄土真宗では、宗教と言っても、実はかなりちがうのです。
それは《第6次元》の宗教と、《超次元》の宗教の差であり、
さらに、《現実界》の宗教と、《象徴界》の宗教の差なのです。

禅宗と言うのは、宗教界のパンクという面があります。

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大徳寺大仙院住職である尾関 宗園(おぜき そうえん、1932年 - )ですが、
これは彼だけの特殊なキャラではなくて、
仏教の経典の世界を、問答無用に破壊して出現した禅宗の本質的な性格として、
パンク性があるのです。
禅宗は、実は仏教界のセックスピストルズだったのです。

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しかし、パンク系の音楽が、実は様々な展開をしていくように、
禅宗もまた、さまざまな展開をしていくので、
決して単純ではなくて、多様なものなのです。
(つづく)

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