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彦坂尚嘉の顔/自分の顔(画像追加/加筆1) [顔]

彦坂尚嘉とまと顔3 72.jpg
撮影:白濱雅也/彦坂尚嘉

◆◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ギャラリーARTEで3人展をやるのに、
3人の顔写真を使うということもあって、
自分の顔写真を、美術家の佐々木薫さんに、
再度、撮影していただきました。

彦坂尚嘉顔2009-5-18-2.jpg

自分の顔を自己分析してみます。

彦坂尚嘉の顔
《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《超次元〜第12次元》の《真性の人格》《第13〜41次元》が無い。
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な顔
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な顔

《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間、シニフィエ(記号内容)的人格が無い。
『真実の人』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我田引水的な作業ですので、
自己欺瞞性があって、
信用は出来ないものではありますが、

しかしもともと芸術分析の開発は、
本人の作品のコントロールのためなので、
自己省察としての、自分の顔の分析は、あり得るのです。

しかし、自分の顔を見つめることは、
鏡を見ると言う意味では日常的に行いますが、
しかし分析は、さすがに嫌なものです。

パスカルのパンセによれば、
人間は自分自身を見つめることが、
実は、一番嫌な事で、不愉快になる事なのです。

何故なのか?
ラカン的に言えば、自分自身と向き合えば、
そこにあるのは空虚性だからです。

自分自身は空虚であると言うのが、一つの大きな事実なのです。
そして人間は、このことと向き合わないようにして生きているのです。
人生の大きな秘密はここにあるように、私は思います。

そこで目をそらす行為が《気晴らし》です。

そしてまた《自己愛》性人格障害と言うのは、
この空虚な自分のエゴイズムだけに固執して、
他者を排除するという欲望なのです。

しかしそれは錯誤と欺瞞の上塗りと、私には見えます。


◆◆2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

すでにブログに載せていますが、
その前に撮った写真の格付けが、実は少し違うのです。

彦坂尚嘉顔写真/佐々木薫撮影722.jpg

彦坂尚嘉の顔

《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》
《象徴界》が《超次元〜第6次元》の《真性の人格》、《第7次元〜第41次元》が無い。
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な人格

《シリアス・アート人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン的人間、シニフィエ的人格が無い。

『真実の人』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この古い方は、社会的に良い顔をしようとしていて、
ですので、《想像界》と《現実界》は、
《超次元》〜《第41次元》という順番で出ています。

先ほどの新しい方は、素顔で撮られているので、
無愛想な顔ですので、《第41次元》〜《超次元》となっています。
この無愛想な顔が、リアルな現実です/

しかしそれは並び方がギャクだけで、内容は同じだと言えます。

ところが、《象徴界》の方は違います
古い方は、《象徴界》が、《第7次元〜第41次元》が無いのですが、
新しく撮った方は、《第13〜第41次元》が無いということで、
つまり、7〜12次元が、《象徴界》の人格を拡張したのです。

これは、実は意識して、《象徴界》の拡張をして、
変化したのです。

こういう芸術分析を繰り返しやっていると、
理解してくるのは、《意識》の問題であると言う事です。

つまり意識すると、人間の意識は変わって、
自分の顔も、少し変わるのです。

伝統的には、「精神修行」と言ったものですが、
そんな面倒くさい事ではなくて、
自己暗示とサイコダイビングを繰り返す事で、
ある程度は、変化できるのです。

さて、一番の問題は、この古い写真に見られる、
《象徴界》の《超次元》〜《第6次元》という性格です。

これは実は古い文化の構造なのです。
1975年以前の文化は、基本的には《超次元》〜《第6次元》で
できていたのです。

もちろん、例外的なものは、ありますが、
メインの主流の構造が、
《超次元》〜《第6次元》であったのです。

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ギャラリーARTE「知覚されたアフォーダンス展」と3人の顔(改題加筆5) [顔]

SH530014.JPG
四国の画廊であるギャラリーARTEの梅谷幾代さんの企画の美術展である
「Perceived Affordance(知覚されたアフォーダンス)」展
そいうのが、6月13日オープンで始まります。
 アフォーダンスというのは、すべての動物はそれぞれに特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考えで、環境がそこに生活する有機体に対して与える(afford)「意味」のことす。
 環境に実在し、動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる
意味/価値が、アフォーダンスです。
 時間や空間もそれぞれの動物にとって異なった時間・空間として知覚されている。 動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされるのです。つまり今回の3人のアーティストの意味構成の仕方の差異が、主題の展覧会と言えるのでしょう。
 

ゲイ映像作家として評価の高い 大木裕之氏、

古田織部の焼き物(備前焼き)の陶芸家・安倍安人氏、

そしてブロガーで《BIKYOTO》の彦坂尚嘉、の3人を併置すると、

どのような生きる意味の違いが見える事になるのか?、


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映像作家/美術家 大木裕之

大木裕之氏は、東大の建築家出身の映像作家です。
大学在学中より映画を制作し始め、
現在まで数々の国際映画祭へ作品を出品しておられます。

ニューヨーク・レズビアン&ゲイ映画祭
サンフランシスコ国際レズビアン&ゲイ映画祭
ハンブルク・レズビアン&ゲイ映画祭
香港レズビアン&ゲイ映画
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
ベルリン国際映画祭
ロッテルダム国際映画祭
リスボン国際ドキュメンタリー映画祭
バンクーバー国際映画祭
タオルミナ国際映画祭
サンダンス映画祭
山形国際ドキュメンタリー映画祭
イメージフォーラム・フェスティバル
岡山映画祭
関西 Queer Film Festival

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安倍安人の陶芸
《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》《第7〜41次元》は無い。
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術、シニフィエの美術が無い
《原始立体》、『ペンキ絵』的立体、【B級美術】

0511.jpg
Profile.Abe.jpg
備前焼き 陶芸家 安倍安人

備前焼きというのは、古田織部の織部焼きですので、
《第41次元》性があって、破格が追求されています。

安倍氏は、出発は油彩画で、1959年に宮本三郎教室に学んでいます。
陶芸を始めたのは遅くて1972年からです。

アメリカのメトロポリタン美術館、ミント美術館、アリアナ美術館で
収蔵され、日本でも京都国立近代美術館で収蔵されているなど、
評価の高い陶芸家です。

彦坂尚嘉顔写真/佐々木薫撮影72.jpg
ブロガー 美術家 彦坂尚嘉             撮影:佐々木薫

彦坂尚嘉は、
1969年の多摩美術大学のバリケードの中での美術展で、
フロアイベントとウッドペインティングという作品を発表して、
以後、この2シリーズを中心にしながら、さまざまな作品を展開しています。

パリ青年ビエンナーレ
ベニスビエンナーレ
サンパウロビエンナーレ、
ユーロパリアジャパン
リスボン建築トリエンナーレ
グローバルコンセプチュアル展(クイーンズ美術館)
センチュリーシティ展(テートモダーン)

などに出品し、
富山県立近代美術館、世田谷区立世田谷美術館、北海道道立旭川美術館、広島現代美術館、高松市美術館、何必館・京都現代美術館、東京都現代美術館、豊田市美術館、千葉市美術館、宇都宮市美術館、大分県立美術館、国立国際美術館、宮城県立美術館、日立市新都市広場、浜松アクトシティ、さいたま副都心郵政省簡易保険ビル、ゲッティセンター(米国)などに収蔵されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
映像作家/陶芸作家/ブロガーと、
異種格闘技のような企画のアート展であります。


とは言っても、安倍安人と彦坂尚嘉は、
昨年のこんぴらアートに出品した仲です。
彦坂尚嘉は、安倍安人さんの色のきれいな、
独創的な花器にしびれてしまいました。


そして大木裕之氏は、実は四国の高知を根拠にしている

アーティストであって、ギャラリーARTEとは、

親しかったのです。

 

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「Perceived Affordance(知覚されたアフォーダンス)」展
6月13日〜7月21日  丸亀・ギャラリーARTE

            

763-0022
香川県丸亀市浜町115-9
tel. 0877-21-5604 
mail はこちらへ
www.arte-g.com
■丸亀駅高架下駅南出口徒歩1分【浜町(将八うどん前)、メゾネット2階建て 
1Fギャラリー 2F書店・事務所 。 
。 

■東京大学工学部建築学科在学中の80年代後半より映像制作
を始めた、大木裕之が、ネオキュビズム宣言からの 絵画作品。
 

■古田織部様式を解明した造型作家_安倍安人の備前陶芸。
 
■2008年こんぴらアート展にて、旅館天井でのインスタレーション
『見立て茄子・赤茄子』という新たな展開を見せる彦坂尚嘉。

 

本展の3作家には、共通して、「アフォーダンス」(affordance)
があります。
アルテの空間に充満する3作家の融合か分離か化学反応か・・
どうぞご期待ください。

ギャラリーARTE  梅谷幾代
http://www5a.biglobe.ne.jp/~Arte2000/

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アントン・フォン・ウェーベルン [顔]

5425318.jpg
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アントン・フォン・ウェーベルンの顔
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な人格

《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
『真実の人』

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加筆2/北野誠とレニー・ブルース [顔]

北野誠について、週刊新潮が報道したので、
それに関連して、北野誠の記事に加筆しました。
興味の持ている方は、04/15 01:46のブログ、読んで下さい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

北野誠の毒舌の内容が、ようやく分かって来ています。
それを読むと、
北野誠は、日本のレニー・ブルースであったのか?
という印象を持ちました。

レニーブルースは、アメリカの1950年代から60年代半ばに、
人間社会の偽善と欺瞞を痛烈な社会風刺で「口撃」したカルト芸人で、
絶大な人気をほこったスタンダップ・コメディアンでした。

ルーズベルト夫人、アイク、ニクソン、ローマ法王を
痛烈な“4の字言葉"で彼の政治的・社会的風刺芸は人間社会の偽善性を
暴くものとして、やんやの喝采で受け入れられたのでした。
そして1966年に、死に至ります。

ダスティン・ホフマン主演で、レニー・ブルース(原題=LENNYいう映画が
1974年に作られています。

Lenny_Bruce.jpg
Lenny Bruce.jpg
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の人格
液体人間
《シリアス・アート人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
『真実の人』

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

北野誠が、《現実界》だけの人格で暴走したのに対して、
レニーブ・ルースは、《象徴界》でけの人格で、暴走したのです。

ですから、同じではありませんが、
しかし、毒舌で売ったコメディアンとして、伝説の存在になった
ということで、良く似ていると言えます。



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北野誠の顔(加筆緑文字/『週刊新潮』の記事を最後に加筆3) [顔]


『週刊新潮』の記事を読んで、最後に加筆しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北野誠は、何者であったのか?
北野誠は、村上隆であった!
北野誠は、マッカシーであった!
というとんでもない話を、書いています。
あくまでも、時代をとらえるための比喩ですが、
中程と、最後に、緑の文字で、加筆しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

北野誠の怪異体験の強調は、
彼個人の性格や、お父さんの自殺と言う不幸な体験に根ざしている
にしても、同時に、1975年以降の、近代の終焉と
深く関係しているのです。

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おまえら行くな。 北野誠怪異体験集

ルナティック・ウォーカーシリーズ 

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北野誠は、怪談と同時、投資の本を書いています。
怪談と投資の組み合わせも奇妙ですが、
ポストモダンな事象としてみれば、
つじつまは、合っているのです。

そして、この投資やマネーゲームの風潮の破綻と、
北野誠の破綻は、間接的にですが、連動していると考えられます。

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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

タレント・北野誠(50)が司会を務める大阪・ABCラジオの
人気番組「誠のサイキック青年団」が16日未明の放送で突然、
打ち切りとなって話題になっています。

1988年4月にスタートし、21年間も続いた番組が、
突然の終了になったのですが、その終わり方が尋常ではないので、
ファンの間に波紋が広がっているというのです。

しかし、21年間連続して、このラジオ放送が続いた事自体に、
驚きがあります。

誠のサイキック青年団』は、
朝日放送運営のABCラジオで毎週日曜深夜に放送されていたラジオ番組で、
関西での放送ですが、それ以外でも聞いていたようです。
1988年4月3日放送開始。最終放送日は2009年3月8日

1988年という開始の年を見ると、1986年がバブルが始まりますし、
グローバリゼーションが始まりますから、
2009年まで続いたこの期間というのは、実は、
分かりやすく言えば、村上隆の時代だったのです。
村上隆の最初の個展は1989年です。
その前に、大学院の展覧会で、小山登美夫が椹木野衣と見に行っていて、
村上隆に注目するというのがありますから、
たぶん、完全に重なっています。

何を言おうとしているかと言うと、
村上隆の時代とも言えるこの1986年以降から、
現在というのは、
精神的にも、有る独特な時代であったのです。
このことを、北野誠という形で、とりあえず象徴化できて、
このラジオ番組が終わるということが、
その時代、つまり村上隆的な時代の終焉として把握できる可能性が、
あります。

16日午前1時に始まった放送では、

冒頭から「リスナーの方々からのお便りを調べた結果、

(番組中に)大きな誤解を与える表現をしていたことが明らかになった」

などと同局アナウンサーによる“おわびの言葉”が10分間隔で

同2時45分の終了時間まで繰り返され、

その間ずっと音楽が流れるのみ。

番組のファンが集うネット掲示板には、最後の放送を聞いたファンが

「ソ連の要人が死んだ日のモスクワ放送のようだった」と

不気味な様子をつづっていたというのです。

 ABCによると、打ち切りが決定したのは11日の夜。

8日の放送が前倒しで最終回となる異例の事態となったというのです。

同番組のホームページでも「この点について、

話題で取り上げた関係者の皆さまに、ご迷惑をおかけしたことを

おわびいたします」と掲載した。だが、詳細については「お答え

できません」と回答を避けたというのです。

かなりの状態です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

北野誠は、以前にもいくつか問題を起こしていますが、

山本リンダへの暴言事件も、かなりのものです。

 

1993年、ラジオ番組「誠のサイキック青年団」で、山本リンダのヘアヌード写真集について、「溶けたアイスクリーム」「整形手術をしまくっている人造人間の写真集なんか買うな!」と猛烈にこき下ろしたことに山本が激怒。名誉毀損として一億円の損害賠償を請求され、同番組のパーソナリティーの竹内義和と共に、マスコミ公開の中で謝罪会見をした。(出典/Wikipedia


 その問題発言は、1993年5月24日に放送された朝日放送『MAKOTOのサイキック青年団』内で起きた。北野が前日に発売された山本リンダのヌード写真集に触れ、「(リンダが)100カ所以上を整形しているのは有名。あんなの(写真集)見たくもない。買うたらあかん」と発言したのだ。
 この発言をリンダの事務所が問題視し、北野側に謝罪を求めた。北野は謝罪したものの、誠意がないと受け入れられず、北野は再び自身の番組などで謝罪した。北野は最終的にリンダ出席のもと、謝罪会見を行い、問題は解決されたが、その賠償として朝日放送は半年間のレギュラー放送をリンダに与えたという。(出典/http://news.ameba.jp/weblog/2008/02/11137.html) 


この山本リンダに対する罵詈雑言というのは、

批評の範囲ではありません。

批評というのは、名誉毀損になるものがあるのですが、

それでも批評が言論の自由として容認されるのは、

あくまでも社会的な公益性があると判断される範囲なのです。

ですから、社会的な公益性を欠いた罵詈雑言は、

批評ではないのです。


整形美容の善し悪しに対する意見はいろいろあると思いますが、

美容整形が非合法ではない以上、

それをあからさまに批判する事が可能だとは、

私には思えません。

ですからこの私のブログでは、直接的な言明は避けています。


山本リンダの本を「買うたらあかん」という事を言うのも、

無理というもので、

これも批評の範囲では無いと思います。

ですから、謝罪するしか無かったのは当然ですが、

北野誠の言論活動の面白さというのが、多分に2チャンネル的な

こういう事件に象徴されるような性格を持ち続けていた事と、

今回のラジオ番組の異様な中止とはつながっているのです。


「山本リンダ ヌード写真集」で画像検索をして、

そのヌード写真を見てみましたが、このブログでは

載せられないものでした。

猥褻だからです。

このブログは、基本としては猥褻画像は載せません。

猥褻の自由の追求を全面否定はしませんが、

猥褻の抑圧は、人間の文化の基本だからです。


猥褻を抑圧しない限り、

人間の高度な文化は成立しないのです。

私見を申しあげれば、荒木経惟のSM写真は猥褻なものであり、

ロバート・メイプルソープのハードコアSM写真は、

芸術的であって、芸術論的には猥褻ではありません。


さて、北野誠の顔を見てみましょう。

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《想像界》の眼で《第21次元》《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第21次元》《真性の人格》
《現実界》の眼で《第21次元》《真性の人格》

《現実界》の人格
気体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
『真実の人』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彦坂尚嘉の《言語判定法》で見る限り、
すぐれた人だと思いますが、
一つは《第21次元》であることの、問題です。

《第21次元》というのは、《第2次元》という技術領域の
倒錯した領域です。

それはエロ写真などを含む領域です。

今日の中国人の経営している中華料理の味も《第21次元》です。
塩と油が多くて、化学調味料が使われている。

それとサイゼリヤの料理と内装が、《第21次元》です。

美術で言えば、ロココ建築が《第21次元》です。

歌謡曲で言えば、小林幸子の歌です。

中国の現代美術も《第21次元》です。
ただし例外はあって、たとえば蔡國強の作品は日本化したのか?
《第6次元》なのです。

《第21次元》は、人生の喜怒哀楽を直接に追求している領域で、
高みがありません。
直接性が強くて、低くて、下品であります。

北野誠の顔が、《第21次元》であると言う事では、
彼の人格が、世界を低さで見て、しかも直接性で見るという性格
であったことが予想されます。


おそらく、問題を起こしている元凶は、
《第21次元》である事とともに、
《現実界》だけの人格と、彦坂尚嘉には見える所です。

彦坂の《言語判定法》で、《現実界》しかないと判断するタイプの人は、
他人の反応をまったく読めない様なのです。
他人の心を想像する《想像界》が無いのと、
人間関係と言う倫理領域を判断する《象徴界》が欠けているのです。

過去の例でいうと、
代表的なのは朝青龍です。
朝青龍2.jpg

朝青龍3.jpg

2007年の夏巡業を怪我を理由に不参加を届け出ましたが、
モンゴルで中田英寿らとサッカーをしている映像が同日報じられ、
仮病疑惑が噴出。この事件でも、謝罪が出来ずにいたずらに時間が
流れましたが、それは彦坂の《言語判定法》では、
朝青龍の人格が《現実界》しか無いと見えるからだと
判断していました。

上の写真は、その事件当時に採取した朝青龍の写真です。
ブログで書こうとして、書き損なったものです。

つまり《現実界》しか無い人は、
「謝る」と言う、《象徴界》的なことが、理解できないのです。
そして他人の心の反応を想像する《想像界》も欠いているのです。

もっとも北野誠は、山本リンダに謝罪しているから、
話が合わないように見えますが、
その食い違いにも関わらず、
北野誠の顔を、《言語判定法》で分析すると、
同様の《現実界》だけという性格が見えます。

このような《現実界》だけの人格の人が増えています。

女優には、実は何人もいるのですが、
沢尻エリカは、その代表です。

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星島貴徳被告の顔 [顔]

国内

【神隠し公判求刑】(2)恐怖感、痛み、絶望感、無念…「怒りの涙を禁じ得ない」涙声の検察官(10:15〜10:30)

1月26日12時3分配信 産経新聞


【神隠し公判求刑】(2)恐怖感、痛み、絶望感、無念…「怒りの涙を禁じ得ない」涙声の検察官(10:15〜10:30)

被害者の東城瑠理香さん(写真:産経新聞)

 《男性検察官は両手を後ろで組み、はっきりとした口調で東城瑠理香さんを殺害後、遺体をバラバラにした星島貴徳被告の犯行を断罪していく》

 《「第4 死体損壊・死体遺棄の様態は壮絶かつ悪辣であること」。法廷の両壁面に設置された大型モニターにこう書かれた画面が映し出された。検察官は瑠理香さんの遺体を切り刻んだ星島被告の極悪非道な犯行を浮かび上がらせていく》

 検察官「瑠理香さん殺害後、遺体を解体…。それぞれを自己に不利益なモノとして扱った。両腕、両足から肉をはぎ取り、まな板の上で刻みました。臓器を取り出し、まな板の上で切り刻みました…。解体後に残った骨は、悪臭を抑えるため、鍋でゆでました」

 「人間としてではなく、モノとして解体したのです…。人間が同じ人間に対して到底できるものではありません。人を人とも思わない鬼畜の所業です。瑠理香さんの遺体をトイレに流し、少しずつ、通勤途中のゴミ捨て場にゴミとして捨てたのです。(瑠理香さん殺害から)2週間もたたぬうちに、瑠理香さんの存在を完全に消し去ったのです」

 「5月28日、下水道管を下流にたどると、被害者の最初の遺体として肋骨(ろっこつ)の一部が見つかりました。わずか数センチメートルの長さの骨片でした。1カ月以上も汚水の水流に耐え、まるで探し出されるのを待っていたかのような骨片は、それ自体が忍耐強かった被害者の悔しさ、無念さを訴えかけてくるかのようです…。遺族の胸には激しい怒りと悲しみ、喪失感と無力感がいつ果てるともなく去来するに違いありません」

 「本件のように、殺人の犯人が、被害者を殺害する前から、その死体を解体し、遺棄して被害者の存在を消すことによって完全犯罪を計画し、これを実行した事件においては、事件全体として評価し、死体損壊・遺棄行為を殺人事件の情状としても十分に考慮すべきです」

 《検察官は、昭和54年に北九州市小倉北区の病院長が男2人に殺害され、遺体をバラバラにされた上、現金が奪われた事件の説明を始めた。被害者が1人の場合、極刑を免れるケースが多いが、この事件は被害者1人に対し、死刑が宣告されたケースだ》

 検察官「殺害後、計画通りに消され(殺され)、遺体を解体して捨てれば、事件が闇に葬り去られる可能性もあり非常に悪質です。解体して投棄し、瑠理香さんさんの存在を消す。しかも、他に類が見られないほど、細かく刻みました。非情です!」

 《今度は大型モニターに「第5 本件犯行の結果が重大であること」という文字が映し出された》

 検察官「瑠理香さんは英語を熱心に勉強し、留学中に英語の教員資格を取得し、大学を首席で卒業し、留学費も奨学金やアルバイトなどでまかなっていた。美術やファッション関係の仕事を目指し、知識を吸収していた…。わずか23歳で、この若さで1つしかない命を永久に奪われた」

 「瑠理香さんは努力家で、目標に向かってがむしゃらに頑張る人でした。希望に満ちた女性でやりたいこともたくさんあったでしょう。結婚して男の子をもうけたいともいっていました…。瑠理香さんは旅の途中でした。その人生を被告人は根こそぎ奪ったのです!」

 《検察官は事件当日の4月18日夜の瑠理香さんの行動を振り返る》

 検察官「(瑠理香さんは)午後7時半ごろ帰宅しました。瑠理香さんにとっていつもと変わりない平穏な生活の一コマでした…。カギをかけるわずかな時間があれば、いつものように楽しく過ごすことができたはずです…」

 「いつもと違っていたのは、一つ置いて隣の918号室の玄関ドアに隠れて被害者を待ち伏せていた被告人が突然玄関内に押し入り、襲ってきたことです…」

 《検察官は、これまでの公判で明らかにしてきた瑠理香さん拉致から殺害、遺体の損壊までの一連の犯行を振り返った。説明の途中で絶句し、感極まったのか、涙声のように聞こえるシーンもあった》

 「被害者の恐怖感、痛み、苦しみ、絶望感、そして無念に思いを致すとき、遺族でなくても、怒りの涙を禁じ得ません!」

    =(3)に続く

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