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中華料理屋の天井に作品(画像追加3) [自作紹介]

彦坂尚嘉茄子とトマト完成1.jpg
彦坂尚嘉茄子とトマト13変.jpg

「深川いっぷく」「深川ラボ」のある、商店街の中華料理屋の天井に、
作品をやっています。
好評で、会期が延長になって5月6日までになりました.
ご笑覧いただければ、幸いです。

彦坂尚嘉茄子とトマト10変形.jpg


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彦坂尚嘉のライブドローイング/アートフェア東京2009 [自作紹介]

彦坂尚嘉のライブドローイング/アートフェア東京2009です。
以下の写真は、
斉藤ちさとさんの撮影です。
感謝です。

ビデオ撮影は加藤力さんにお願いしてやっていただきましたので、
その内にYouTubeにアップして、このブログにも貼付けるつもりです。


PAP_00031.jpg




PAP_00052.jpg
PAP_00013.jpg
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アートフェア東京2009/彦坂尚嘉の展示 [自作紹介]

アートフェア東京2009での、
彦坂尚嘉の搬入の様子を、糸崎公朗さんが撮影してくれていました。
感謝です。

以下ご報告を少しします。

s-R8457196.jpg
一日前の4月1日にトラックに積み込んで、
ホテルで一泊して、
2日の朝8時から並んで、10時になんとか搬入です。
手伝ってくれたのは、写真右から伊東直昭さん、白濱雅也さん、
他に武田友孝さん、佐々木薫さん、山口麻衣さん。

お金も、労力も、まあ、馬鹿にならない大変さです。

ブースの出店料金が、前の倍になっていて、約80万円です。
でうから、何やかや100万円を超えるお金が飛びます。
出店料はギャラリーARTEさんが持ってくれていますが、
自分の作品の搬入搬出の費用は、私持ちです。
そのほとんどは、赤字ですから、
勉強賃ということになります。

前に、四国のこんぴらアートへ、自分でトラックを運転していって、
かかった交通費が、約25万円でした。
これも、もちろん赤字です。

作家をやって行く事の、不可能性というのは、
金銭的にまず、ぶつかる問題なのです。
こんなことをやらなくても良いのではないか?
というご批判も分かりますが、
こういう変動期に、きちんと現実を見るためには、
足で、動かないと、見えないのです。


s-R8457200.jpg

右の後ろ姿が、山口麻衣さん。
左は、糸崎公朗さんか?
あるいは今回ARTEを手伝ってくれている池田さんか?

s-R8457202.jpg
左の女性が、ギャラリーARTEの梅谷幾代さん。
汚い後ろ姿が彦坂尚嘉。

s-R8457207.jpg
左側が糸崎公朗さんのフォトモと、奥の丸い写真が昆虫を接写したもの。
両方とも、超密着の視覚で、糸崎公朗さんのやさしさに満ちた眼差しが、
すばらしいです。


s-R8457208.jpg
手前の大きな作品が、彦坂尚嘉の皇居美術館建築模型彫刻。
右の赤いのが、横山玄太郎さんに本物のトマトと茄子から、
直取りで作ってもらった陶器をくっつけた作品。

s-R8457210.jpg
壁面の後ろが、今回のARTEの3人目のアーティストである、
吉峯和美「インテリア」という油彩絵画。
彼女の作品が、一番良く売れていて、今回のARTEを支えています。
吉峯和美さんの絵画は、3界とも《第8次元》ですが、
すべて《真性の芸術》です。
前に吉祥寺の焼き鳥屋のカッパについて書きましたが、
ちょうど同じ構造の《第8次元》の芸術世界です。
こんぴらアートでは、五十嵐太郎さん、そして村田真さんも
評価していた画家です。
《第8次元》の絵画の強さを、改めて、この売れ方で、
思い知らされました。

s-R8457220.jpg
s-R8457222.jpg
この小さな皇居彫刻は、楠を切り出す所から、
一気に作った作品。
皇居の敷地の堀の部分は、糸鋸で切るのが、手間でした。
私の老眼では無理なので、佐々木薫さんの根気仕事に
助けていただきました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

昨日は、昼に立教大学に行って、
入学式後の、大学院のガイダンスに出席しましたが、
さすがに細かい。
大学運営の現実は、たいへんですね。
こちらは特任教授ですので、そういうことは関係がないですが、
私の妻は、早稲田大学で教えていますが、
まあ、会議の連続で、とても大変です。
大学運営に関わる大学教授になると、
作品が良く無くなるというのは、実感できました。

さて、ライブドローイングの写真は、
斉藤ちさとさんが撮影してくれたので、
もう一つのブログでご紹介します。

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新象徴界の芸術/アートフェア東京と椅子(大幅加筆英語版追加) [自作紹介]


天皇の京都への帰還-紫.jpg
英語版天皇の京都への帰還2ブログ.jpg
これは、アートフェア東京に出品を準備して制作した作品です。
他人には、見たく無いような作品で恐縮ですが、
一番、極端な作品として、気に入っています。

自分で、芸術分析をすると、次のようになります。


《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《  超  次  元  》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィエ(記号内容)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この作品のポイントは、シニフィエの美術にしてある事です。
つまり、この作品は《象徴界》性の強い作品あのですが、
シニフィエにしてあるのです。

この作品の下敷きは、有名なコスースの同様な作品です。

img_kosuth_nothing_lg.jpg
《想像界》の眼で《第6次元》のデザインエンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の作品、気体美術。

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

コスースの、この概念芸術の代表とも言える作品が、
実はデザイン的エンターテイメントでしかなくて、
作品としては《原始平面》の『ペンキ絵』で、
【B級美術】であったのです。

その後の、コスースはレベルを上げて行きますが、
こうしたこと、
つまり重要と思われた作品が、
実は、単なるデザイン的エンターテイメントであるということは、
後からの芸術分析としては、重要な認識なのです。

それと、もう一つ、シニフィアンの美術であったという事です。

さて、そこで、彦坂尚嘉の作品は、
《第41次元》《超次元》の《真性の芸術》にして、
しかもシニフィエ化したものとして、
この作品を作りました。

実際には、この黒い紙に、
ドローイングを描いて5000円で、売ります。
売れはしないでしょうが(笑)。
もっとも英語版も用意するし、紫色版も用意するので、
それにドローイングが入っていると、随分違うものに、
なります。
しかし、作品そのものの、芸術的な本質は、
この無愛想な、黒の日本語の文字作品です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

こういう作品を、政治と誤解する向きがあるかもしれませんが、
これは政治運動ではありません。

これは芸術作品なのであって、
ボイスや、ハーケの仕事と同様のものです。
日本で言えば、秋山祐徳太子さんの仕事の系譜です。

あくまでも美術作品あのであって、
その範囲をこえません。

漫画だから書けるとか、
お笑いだから言えるというのと同じで、
アートだから、表現できる内容なのです。
あくまでも、そういう範囲のものです。
現実の政治ではないのです。

憲法・皇居美術館 4頁.jpg


憲法・皇居 次頁5頁[更新済.jpg



こうした文字の作品は、
今までも、いろいろと作って来ているのですが、
シニフィエ化を自覚して作るようになったのは、
最近です。

「深川ラボ」のドローイング展に出品した、
100円ショップ・アートの『動物的エネルギー』の連作も
こうしたものです。
(2100円です。お問い合わせは、「深川ラボ」まで)

今、「深川ラボ」で展示している椅子の作品も、
同様の、『動物的エネルギー』の作品です。
これも新象徴界の作品になっています。

彦坂尚嘉椅子.jpg
彦坂尚嘉椅子2.jpg

1975/1991年の近代の終わり以降、
新想像界の作品、
つまりシニフィエ化した、《想像界》の美術が、
跋扈して来ました。
それは政治的には、サッチャー/レーガン/ブッシュ/中曽根〜小泉。
この新自由主義の政治状況と、現代アートは深く関わって来たのです。

新自由主義と、村上/奈良は、深く関わって来ていたのです。
ギャラリーで言えば、小山登美夫ギャラリー、そして山本現代は、
実は美術界のブッシュであったのです。

では、次は何なのか?
彦坂理論では、
《想像界》を否定して出現するものは、《象徴界》だから、
新《象徴界》の時代になるのではないか?
つまりシニフィエ化した、《象徴界》の表現が
突出してくるのではないか?

私自身は、実は《象徴界》の表現をそいだそうとして来た人で、
『秘伝ディメンション』という展覧会を2005年に組織しています。

そして何よりも、私自身の本質は、
学生時代から、観念的であると言う批判を繰り返し浴びて来たように、
本質的にシニフィエ的な、《象徴界》性の強いアーティスト
あったのです。

4月のアートフェア東京2009では、
皇居美術館空想を出すのですが、
この作品は《想像界》の作品の偽装性をもちながらも、
本質は《象徴界》の作品であるのです。

その《象徴界》性を、シニフィエ化の暴走として、
突出させてみたいと思うのです。

《象徴界》の作品は、面白くは無いから、
成功するとは、まったく思わないのですが、
それでも暴走する。

この暴走の仕方は、
石上純也さんを、ベネチア建築ビエンナーレまで、
追いかけて、学んだものです。
暴走こそ、現代のアートなのです。







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彦坂尚嘉の活動歴(最後に加筆) [自作紹介]

彦坂尚嘉のことを、ブログだけでご覧の方がほとんどだと思います。
しかし私の活動は、実はブログ以外の方が、主なのです。

NO NAMEさんからのコメントでのご批判もあったので、
立教大学に提出した活動歴を採録することで、
私の活動をご判断ください。

学会ならびに社会における活動
1969   前衛音楽家・刀根康尚と共に現象学研究会結成

1971〜72 『美術手帖』編集部協力のもと「年表・現代美術の50年」400頁)
      を作成。以後、60年代美術の総括の記事に参加。

1971   「集団の波、運動の波/60年代美術はどう動いたか」(『美術手帖』
      1971年10月号無署名執筆)

1973   「京都ビエンナーレ・集団による美術」に《5人組写真集編集委員会
      +5》をオーガナイズして参加(京都市美術館)。

1975   「パリ青年ビエンナーレ」に日本代表として国際交流基金より派遣
      れる(コミッショナー峯村敏明)。

1979   「木との対話展」に参加(西武美術館、コミッショナー中原佑介)。

1982   「ヴェニス・ビエンナーレ」に日本代表として国際交流基金より派遣
      さる(コミッショナー・現宇都宮市美術館館長、谷新)。

1983   「日本現代美術展」に参加(クンストハーレ・デュセルドルフ)
      
    
      「現代美術における写真展」に参加東京国立近代美術館+
      京都国立近代美術館)。

1986   「ソウル・アジア現代美術展86」に参加(韓国現代美術館)。

      「シンガポール芸術祭」に参加(シンガポール国立博物館)。


1987   「サンパウロ・ビエンナーレ」に日本代表として国際交流基金より
      派遣さる(コミッショナー・美術評論家東野芳明)。

      「絵画1977-1987」に参加(国立国際美術館、
                      コミッショナー建畠晢)。


1989   「ユーロパリア・ジャパン89に日本代表として国際交流基金より
      派遣さる(コミッショナー・中原佑介)

1992   シンポジウム「美術批評の可能性」に参加(建畠晢企画、パネリスト:
     浅田彰、篠田達美、建畠晢、彦坂尚嘉、 多摩美術大学上野毛校舎)

     シンポジウム「NICAFの開始」に参加(パネリスト:中原佑介、椹木野
                  衣、李禹煥、彦坂尚嘉、パシフィコ横浜)

     1970年代日本の前衛展」に参加(イタリア・ボローニャ市立近代美術
      館世田谷美術館、コミッショナー・現国立国際美術館館長 建畠晢)

1994   「ファーレ立川」に参加、公共彫刻制作(コミッショナー北川フラム)

1995   シンポジウム「戦後文化の軌跡展」に参加(パネリスト:浅田彰、
                 建畠晢、島田雅彦、彦坂尚嘉、目黒美術館)

1998   写真展「AIR」をオーガナイズ(堀 浩哉・石内都・宮本隆司・彦坂尚
                 嘉による)、これにより「写真の会賞」受賞。

1999   「グローバル・コンセプチュアリズム展」に国際交流基金より派遣さ
       れる(クイーンズ美術館、コミッショナー・美術史家 富井玲子)

2000   さいたま副都心・郵政省簡易保険ビルに公共作品を制作。

     第1回「越後妻有トリエンアーレ」に参加(コミッショナー小林晴夫)

2001   「センチュリー・シティ展」に参加(テート・モダン
                        コミッショナー・富井玲子)。


2003  2回「越後妻有トリエンアーレ」に参加(コミッショナー、北川フラム)。

2004  連続シンポジウム(全20回)『アート・スタディーズ/20世紀建築・
    美術史名品はどこにある?』(後援・毎日新聞社、日本建築学会)の
    ディレクターに就任。

    シンポジウム『アートとうつ病』に参加(パネラー:建畠晢、高岡健、
                        彦坂尚嘉、ギャラリー手)。

2005  「兵庫国際絵画コンペティション」で優秀賞。(兵庫県立美術館)

     日本ラカン協会幹事になり、現在にいたる。

     シンポジウム「《気》と《精神医学》と《アート》」(パネリスト:
             真々田昭司、高岡健、彦坂尚嘉、東京都現代美術館)

2006   第3回「越後妻有トリエンアーレ」に参加(コミッショナー北川フラム)

2007  第1回「リスボン建築トリエンナーレ」に日本代表として国際交流基金よ
                 り派遣さる(コミッショナー・五十嵐太郎)


2008   日本建築学会発表会(918日)に「皇居美術館」を発表

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

日本の現代美術家としては、異端の道を歩んでいる割には、
パリ青年ビエンナーレ、ヴェネチア・ビエナーレ、サンパウロ・ビエン
ナーレ、クイーンズミュージアム、テートモダーン、リスボン建築トリ
エンアーレへの出品を取って来ています。

日本の現代美術家の中では、一番多いと思います。

しかし、当たりません。

言われる事は、作品が難しいというのです。
最近もギャラリーARTEさんから、「彦坂さんの作品はむずかしい」と
言われました。

本人は、なにがむずかしいのか、分かりませんが、
そう言われるのならば、もっとむずかしくして行こうとは、思います。

むずかしい作品をつくる。
当たらない作品をつくる。

そういうつもりは無かったのですが、
今後は意思して、
むずかしくして行こうと思います。





 




タグ:彦坂尚嘉
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彦坂尚嘉作品/アートフロント・ギャラリー(加筆5) [自作紹介]

アートフロントギャラリー出版したカタログ
『ART FURONT GARALLERY』の出版記念展が開かれ、
オープニング・パーティにも行って来ています。

自作の画像を紹介します。
以下の作品は、そのカタログ『ART FURONT GARALLERY』に
掲載されているものです。

MG_232672.jpg
ウッドペインティングです。

《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《現実界》で《41流》にもっていった作品で、
特徴的なのは側面の表現で、《第6次元》にしてあります。
中央部分の側面が、《6流》の空虚さが、気に入っています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


_MG_189372.jpg

《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
階段状のウッ度ペインティングです。
その階段性を生かして、
一番左の広い面が《第6次元》、
真ん中が《第1次元》、
右の狭い出た部分が、《超次元》につくられています。
もともと複合絵画を追求しているのですが、
3種類の格の違う表現を複合した作品です。
格だけでなくて、フォルムも構造から3種類別のを統合した
作品で、これも巧くいって、気に入っています。

左の画面には、木紙という、
木を薄くスライスしたものが貼ってあります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

188972.jpg
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも階段状の作品です。
これは左面が《第1次元》、
真ん中が《超次元》、
右の出た面が、《第41次元》で作られた作品。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

_MG_1871 72.jpg



_MG_187472.jpg
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これはキャンバスの作品ですが、油彩で描いている部分と、
海のモノクロ写真を貼って、さらに木紙を切り抜いてはっています。
下には、壁紙も、細く貼ってあります。

スパイラルをテーマにした作品は、初期のウッドペインティングから
あるものです。拙著の表紙の作品も、
5つのスパイラルで出来ているものですが、以前は構造としてあったも
のが、このキャンバス絵画では、裸で出て来ています。

海の写真を使う作品は1972年から発表して来ていて、息の長いものです。
海の新作も、京都のギャラリー16でも3年前に発表しています。

壁紙を使っている作品は、1976年に「史律におけるプラクティス」とい
う6点シリーズの中で出て来ていて、その作品が契機で、色彩と形象を
復活させたウッドペインティングが出てくるのですが、
その後も、海の作品と合わさって、大作が作られています。

このキャンバスは、そうした自分の作品のパッチワークです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

こした作品は、今回はアートフロンとで発表はしていますが、
グループ展ということもあって、展示されたのは、
最初の2点だけでした。

こうした作品は、制作そのものは毎月数点を仕上げる様にしています
が、発表をするチャンスが無いままに売却されてしまう場合があります。
発表しても、日本の美術界の現状には合わないので、
無視されると言うこともあって、
展覧会という形式自体が、しだいに別のものになって来ていて、
直にコレクターや画廊に買い取ってもらうので充分と
言うことになります。
うまく、状況と組合わさらなくなって来ているのです。

しかし人類史の中で考えれば、
作品が展覧会で発表されないまま、売却されている方が多いのです。
ピカソの画商のカンワイラーは、毎月ピカソから買い取っていますが、
展覧会はしていません。
ヴォラールも、ルオーの作品を長期間買い取っていますが、
展覧会をしないで、死んでいます。
マチスの赤い部屋という代表作も、
赤くなってからは、未発表でロシアに売られています。
作品と展覧会は、密着はしていないのです。

3番目の赤紫の作品は、自分でも達成感のある作品ですが、
これは持ってもらおうと思った個人コレクターの家に持っていった
のですが、「強過ぎる」と言われてさまよってしまって、
うまく行かなくて、
結局アートフロントに買い取ってもらいました。
アートフロントの若い担当者が、評価してくれたからです。
良い作品なのですが、良い作品を分かってくれる人が減っているので、
何とか、別の血路を切り開かなくてはならないのです。

一つはマネージメントの問題で、
1991年以降のインタネット時代になると、
私の付き合って来たギャラリストが古くなってしまって、
ネット検索もしないし、自分ではメールも打たない人たちで、
状況に適応能力を失ってしまったのです。

北川フラムさんとは1969年からの40年のおつきあいです。
アートフロントギャラリーは、いわゆる現代美術業界の外の
全く別のギャラリーであって、
現実を切り開く力は、驚くべきものです。
今年の越後妻有トリエンナーレは、私は2カ所でやることに
なっていて、細部は今月末に現地で相談しないとなりませんが、
アートフロントギャラリーのマネージメントによる仕事が、
本年は一番大きいと思います。

しかし皇居美術館は、アートフロントはマネージメントを
やってはくれません。
こういう危ない作品に興味をもってくれるのは、
ギャラリーARTEさんです。
つまり一軒のギャラリーでは、彦坂尚嘉のマネージメントは、
入りきらないので、2軒以上のかかわり合いが必要なのです。

随分探して来ていますが、私の個人マネージャーを出来る人が
いません。
ギャラリストが古いというのは、1995年頃から痛切な問題で、
しかしアートマネージメントの人もまた、
現実適応能力が無いのです。

建築の人たちと付き合って分かった事は、
建築家は、自分でマネージメントをしているのです。
リベスキンドもザハも安藤さんも、自分で営業をしている。
建築は金額が大きいので、建築家自らが仕事をとってこないと、
動かないのです。
考えてみればレオナルド・ダ・ヴィンチも自分で営業をしていたわけで、
狩野元信や狩野永徳にしても、自分たちで直接営業をしているのです。

ですので、最近は自分で営業をしています。
営業をしていると分かるのは、
いままでの村松画廊も、東京画廊も、ギャラリー手も、
古い単純系のギャラリストは、ろくなマネージメントをしていない
ということです。
みんな良い方ですし、特に手の杉山旭さんの眼は良いと思いますが、
しかし、そもそも作家について研究も勉強もしないのです。
ピカソの画商のカンワイラーが、キュヴィズムをはじめ、何冊も本を
出しているのとは、頭脳の水準が違うのです。
日本のギャラリスト自身が、
もしかすると《自己愛》性人格障害だったのかもしれません。

複雑系のマネージメント技術を開発確立するのは、自分で
やるしかないとつくづく思いました。
「深川いっぷく」で、複雑系アートマネージメントの勉強会を
始めようと思っています。

建築系のやり方を見ていると、
そちらの方が合理的だし、洗練されています。
実はアートフロントというギャラリーは、
建築系ギャラリーというべきところがあります。

建築系はなによりも、頭が良いのです。
日本の美術関係者は、作家が馬鹿であることを望んでいますが、
美術史の中で、レオナルド・ダ・ヴィンチも、ゴッホも、
デューラーも、雪舟も、雪村も、宗達も、馬鹿ではなかったのです。
作家に馬鹿性を要求する日本の美術界は、
たぶん人格障害者なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の世代の現代美術家は非合理で、現実は握力を失っています。
先日も、久しぶりに原口典之さんが2度も電話して来てくれて、
話しましたが、彼をグーグルで検索すると580件です。
いま、彦坂尚嘉で検索すれば、16、100です。
その差は、約28倍です。
このインタネット時代に、彼は何も対応していないのです。
検索結果などは実体ではありませんが、しかし情報化社会ですから、
情報の量の虚が、実体と無関係とは言えないところがあるのです。


私はコンテンポラリー・アーティストですから、
時代と格闘しながら、芸術の探求を続けるのです。
自分の《自己愛》の蛸壺に閉じこもる人は、
自由にしてもらうしかありません。
《自己愛》の蛸壺の中で死んで、
《自己愛》の蛸壺の中で葬式をすれば良いのです。

私は探求の旅を続ける中で、制作を続けます。
旅の中で他者に出会います。
他者との出会いこそが、アートの原動力なのです。
作品を買ってくれる眼のあるお客も、自分で出会って行きます。
マネージメントは、自分でもやるし、ギャラリー活動も、
自分でもやります。
複雑系の世界を生きるサバイバルゲームは、
冗談ではできないのです。

そして、この不況の中にでも、他者はいるのです。
他者との出会いこそが、《真性の芸術》の根幹をなす要諦なのです。





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《こんぴら》から『アートフェア東京2009』へ(自作解説と画像追加) [自作紹介]

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彦坂尚嘉 見立て(トマトと茄子) 金比羅虎丸旅館 2008  写真撮影:高嶋清俊
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彦坂尚嘉 見立て(トマトと茄子) 金比羅虎丸旅館 2008  写真撮影:高嶋清俊
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彦坂尚嘉 見立て(トマトと茄子) 金比羅虎丸旅館 2008 写真撮影:高嶋清俊

『こんぴらアート2008』から『アートフェア東京2009』へと、
展開するプロジェクトが決まりました。

四国のギャラリーARTEが、
この4月に東京フォーラムで開催される
『アートフェア東京2009』へ出店するのですが、
そこに糸崎公朗と、彦坂尚嘉を出品する事になったのです。

さて、そこで遅れましたが、
『こんぴらアート2008』の総括と報告です。

◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
たのしむ図書館、つくる図書館

琴平プロジェクト
こんぴらアート2008虎丸社中が開幕
by kujitatsuya on 12/12/2008 - 17:54
香川県琴平町で「琴平プロジェクトこんぴらアート2008虎丸社中」が開催されます。
2008年12月12日(金)〜14日(日)。彦坂尚嘉、糸崎公朗はじめ総勢21名の作家が参加。
主催のギャラリーアルテはアートフェア東京にも出展の実力派。
○プロジェクトHP
http://www5a.biglobe.ne.jp/~Arte2000/exhibition/08toramaru.htm

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artscapeレビュー 五十嵐太郎(建築評論、建築史家)

2009年01月15日号

琴平プロジェクトこんぴらアート2008・虎丸社中

会期:12月12日~12月14日

老舗旅館「虎丸旅館」及び木造和風建築

「琴平公会堂」[香川県]

美術家の彦坂尚嘉が金比羅で旅館を使った

アートイベントに参加するというので、そ

のトークに出席した。金比羅の上のほうでは鈴木了二の建築や、田窪恭治

の襖絵があるなどハイ・アート的であるのに対し、今回は下のほうで違う

かたちのイベントをやるという。ギャラリー・アルテという四国のギャラ

リーの女性ギャラリストが企画し、とら丸という旅館の各部屋に展示。

宿泊施設をアートの展示に使うのは、東京のアグネスホテル、大阪の堂島

ホテルなどでもあり、ベッドや浴室にアートがあったり、少しずつ間取り

の違う同じフロアの部屋をすべて見たりする機会は、修学旅行でもないと

できない体験。単純にアートがどうこういうより経験として面白い。 

今回はその旅館版。木造和風の旅館で、日本の旅館に典型的な、でたらめ

な増改築がされたプラン。例えば2階に上がるのに四カ所くらい変なとこ

ろに階段がついている。作家のなかにはその特性をうまく使う人と使わ

ない人がいて、彦坂さんは結構うまく使っていた。二つの会場での展示が

あり、客室では天井にナスやトマトのオブジェ。彼の初期の作品はフロ

アー・イベントという床の作品だっただけに、面白い展開。他の作家と

違い、床を占有しておらず、そういう意味だと興行的にもあり得る。

もうひとつ公会堂でやっていたのは、皇居美術館空想の展開。

ちょっとした体育館くらいの広さの空間の真ん中に、存在感のある

皇居美術館の模型が置かれる。またその延長である帝国美術館空想も

一部紹介。隣に糸崎公朗のフォトモの作品があり、壮大でグローバル

な展開の彦坂さんと、ミクロな観察眼で虫や町並みの観察を行なう

糸崎さんの展示が対照的だった。12月14日(日)(五十嵐太郎)

 彦坂尚嘉皇居美術館2.jpg
彦坂尚嘉 皇居美術館と帝国美術館 琴平公民館 2008  写真撮影:高嶋清俊
彦坂尚嘉皇居美術館3.jpg
彦坂尚嘉 皇居美術館と帝国美術館 琴平公民館 2008  写真撮影:高嶋清俊
彦坂尚嘉皇居美術館.jpg
彦坂尚嘉 皇居美術館:建築模型彫刻 琴平公民館 2008  写真撮影:高嶋清俊

琴平プロジェクトこんぴらアート2008・虎丸社中

会期:12月12日~12月14日

虎丸旅館/琴平町公会堂[香川県]

近ごろホテルの客室を使ったアートフェアはよく見か

けるが、旅館の和室を展覧会場にする試みはあまり聞

いたことがない。これは、こんぴらさんで知られる金

刀比羅宮の参道の虎丸旅館と、その近くの重文級の琴

平町公会堂を舞台にした展覧会。出品は彦坂尚嘉、吉

峯和美、糸崎公朗、廣中薫、澤登恭子ら19組。こうした展覧会の場合、ほか

の場所でつくった作品をもってきて展示するだけでは、わざわざ見に行く価

値がない。やはり琴平町という地域性や、旅館の部屋という空間性を生かし

たサイトスペシフィックな制作が望まれるが、そういう作品はごくわずか。

とはいえ、たとえば吉峯の作品は、17世紀オランダを思わせる油絵で和風旅

館とはミスマッチなのだが、意外なことに大きさといい色合いといい図柄と

いい、和室にぴったり合う。一方、天井板にトマトやナスの模型を貼りつけ

た彦坂の作品は、若冲の天井画からヒントを得たのかと思ったら、ぜんぜん

関係ないという。もっとも天井画は金刀比羅ではなく京都のお寺にあるのだ

が。いずれにせよ「今年はパイロット展」というから、次の展開を期待した

い。 12月13日(土)(村田真)

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【自作解説】

『見立て(トマトと茄子)』

私自身は、小さい時から病弱で、病気で寝ていて、天井ばかりを見て育ちました。
寝ている場所は、東京の世田谷の三宿の和室の8畳間です。
天井は杉板で、木目の強いもので、こればかりを、飽きずに見て来たのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、壁のシミを見つめていると、様々なものが見えると
書いていますが、私も天井の杉の木目の中に、様々な幻視を見て来たのです。

大学生の時には、天井に障子紙に描いた絵巻の作品を、何本もはって見ていました。
もともと平安時代の絵巻物が好きで、絵巻を描いていたのですが、誰にも見せず、
多摩美術大学での学内発表にも出さずに、終わっています。
次に天井を作品にしたのは、1972年に何回目かのフロアイヴェンとという作品の時に、
この杉の天井を、ハンマーで破壊する『シーリングミュージック(天井の音楽)』という
作品をやっています。
このあと1980年代に、東京画廊の山本豊津氏のプロデュースで、
表参道の資生堂のショールームに、かまぼこ型の天井をつくって、
そこに絵を描いています。
彦坂尚嘉 見立て(トマトと茄子)2008.jpg
今回のこんぴらアートでのインスタレーションのきっかけは、
上に掲載したデジタル画像の作品が、もとでした。
これは木目の画像を、水に見立てて、そこにトマトと茄子を浮かべたものです。
エックハルトというドイツ神秘主義の思想家も、木目を見ていると木目になる
と書いています。このエックハルトは、ドイツ語の日常語で初めて聖書をラテン語
から訳した人で、異端審問に摘発されて、著作は焼かれて死んでいます。
私はこのエックハルトに大きな影響を受けていることもあって、木目の作品を
作り続けて来ていますが、このトマトを使う作品は、トマトアートシリーズの
展開です。

何故にトマトなのか?
私は小さな時から、トマトにお砂糖をかけて食べるのが好きだったのです。
そしてトマトの赤い色に、思い入れがありました。お酒のカクテルも、
ブラッディ・メアリー (BLOODY MARY)が好きで、トマトのみそ汁とか、
トマトアイスクリームも作って来ています。
今回も、トマトアイスクリームを、アート作品として作って、売りました。

トマトは茄子科の植物で、和名を赤茄子といいます。それで茄子を連想して、
使っています。
茄子と赤茄子という類似性で、並列しているのです。


際に天井にトマトと茄子を付けて見せようと言うことになったのは、
今回のこんぴらアートの打ち合わせを、梅谷幾代さんと、
電話で何度も話している中から出て来た事です。
彼女とは、金比羅と琴平の歴史のことから、話が始まっています。
軍事都市であったこと、その痕跡は今もたくさん残っている事.。
以下、梅谷幾代さんのメールです。


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原爆テロ反対作品 [自作紹介]

原爆完成2.jpg
パリ凱旋門と原爆完成1.jpg

前にも出したことがあるのですが、
新潟に住む作家の堀川紀夫さんの呼びかけでされている美術展である
第3回Blue Sky Projectのための作品です。

これは9.11のテロに反対する美術展と言う、
正しい目的の美術展で、まあ、お付き合いしているのです。

こういう作品は、
誰も認めてもくれないし、売れもしないのですが、
こういうCG作品は、好きでやっているのです。
だれの期待しない作品をつくるのは、楽しい事なのです。


今回はパリが舞台です。

プロジェクトとしては、
核保有国の国全部に、原爆反対と言う意思を示す様に、
こういうテロ警告画像を造って行くつもりでいます。



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あとがき全文 [自作紹介]

彦坂尚嘉の本.jpg

彦坂尚嘉著『彦坂尚嘉のエクリチュール/現代美術家の思考』(三和書籍)
2段組み600頁の大著です。

本を企画する時にお手本にしたのが
ドゥルーズ/ガタリ 著『アンティオイディプス』でした。
これを模倣しようとしたのです。

アンティオイディプス.jpg

厚さは、紙の選び方で変わるのですが、
2種類見本を作ってもらって、
あまり厚くなるのは下品なので、
私なりのプロポーション計算をして、
真ん中のものにしました。
ですから、まあまあの厚さです。

ようやく、印刷所に入校されました。

最後に手間取っていたのが、
ここに全文掲載する「あとがき」です。
最初400字詰原稿用紙で60枚書いてしまって、
駄目だと出版社に言われ、
8頁に入るように、短くしました。

最後にある
謝辞で、非常に多くの方々の名前を挙げていますが、
おつきあい頂いた方々に、本当に感謝しています。

5月8日に最初の50冊が完成します。
3000部ですが、全部が納品されるのが5月20日です。


■あとがき■

 ここに編纂したものは、1970年代の美術家である私の一群の文章の諸編である。70年には大阪万博があり、73年には石油ショック、そして75年、アメリカがヴェトナムで敗戦する。これを境に世界が右傾化していったことは、多くの識者が指摘してきている。音楽史では1975年以降を「前衛の停滞期」という言い方でとらえる。美術史でも1970年代前半で現代美術(前衛美術)の一つの区切りがあるという歴史記述が定着している。つまりこの1975年前後の亀裂は意識されているのだ。私見では1968年から、この一1975年こそが、近代と現代を分ける重要な亀裂なのであった。

 私は、1969年の多摩美術大学のバリケードの中の美術展『造型作家同盟展』から出発した。バリケードと言っても、私が属していた多摩美術大学とその姉妹校である多摩芸術学園の絡み合ったバリケードは、11ヵ月に及ぶ長いもので、私はバリケードで美術展を開いていたのである。その美術展には針生一郎、中原佑介、故・東野芳明ら現代美術批評家諸氏が見に来たし、故・斎藤義重氏、故・杉全直氏ら現代美術のアーティストも見に来た。また『美術手帖』の編集者もバリケードに入って来たのである。美術評論家の瀬木慎一氏も来たし、NHKテレビのディレクターも来たのである。こういうわけで、多摩美・多摩芸のバリケードは、文化の生産拠点であったのである。私に本書収録の美術小説を書かせたカルト雑誌編集者・南原四郎(本名・潮田文)氏、詩人の稲川方人氏、さらにダンスカンパニー・モナドで踊っている神林和雄氏もいた。写真家も多くて故・神林律子氏、車椅子の写真家で舞踏集団・開座でダンスを踊っている矢田卓氏、私と同じようにヴェネツィア・ビエンナーレに出品した写真家の宮本隆司氏、石内都(本名・藤倉陽子)氏もまた、このバリケードの内側にいたのである。
 
 私は、あの時に、黒い光る闇を見ていた。、開高健がベトナム戦争を正面から描いて一1968年に書き下ろし長編小説として発表したのが『輝ける闇』であった。おそらく開高も私も同じ《光る漆黒の闇》を、見ていた。当時の私はエピステーメーを見ていると思っていた。それはモダニズムが沸騰する臨界点の姿であった。エピステーメーというのはミシェル゠フーコーの概念で、日本語で言えば《知の枠組》ということだが、ある時代の社会を支配する「エピステーメー」から解放されるには「エピステーメー」の破壊でしか解決しないという。
 
 このバリケードの中の美術展で、白木で作った百号大四角いパネルを「ウッド・ペインティング」と称した作品と、床に百号大の透明なビニールをただ敷いた「フロア・イヴェント」という作品を発表している。今からふり返れば、芸術をジャック・ラカンが言う〈現実界〉に還元する作品であったと言える。
 
 そして、1970年代の前半は「フロア・イヴェント」を展開して、75年にパリ青年ビエンナーレに国際交流基金から日本代表のアーアーティストとして派遣されたのである。推薦した美術評論家は峯村敏明氏であった。
 
 1970年代後半は「ウッド・ペインティング」を展開する作家活動をして、81年にはヴェネツィア・ビエンナーレに、同じく国際交流基金から派遣されている。この推薦は宇都宮市美術館館長の谷新氏であった。
 
 さらに文化庁から海外芸術家在外研修員に選ばれてアメリカのフィラデルフィアにあるペンシルバニア大学大学院に留学している。推薦したのは兵庫県立美術館館長の中原佑介氏であった。この中原佑介氏こそ、彦坂尚嘉という作家を擁護し、押し出した美術評論家であった。象徴的なのは美術雑誌『芸術新潮』の特集号「天才候補ばかり」(1979年11月号)で、中原氏は、彦坂尚嘉と高松次郎の二人を押したのである。中原佑介(本名・江戸頌昌)氏は、1931(昭和6)年神戸生まれ。1953年京都大学物理学科卒業。1956年まで同大学院の湯川秀樹研究室で理論物理を専攻していた。1955(昭和30)年処女評論「創造のための批評」で美術出版社の第2回美術評論賞を受賞し、美術評論活動に入った。なお前年の第1回美術評論賞を受賞したのは故・東野芳明氏で、東野氏もまた多摩美術大学の教授で、私は彼の推薦で1987年にサンパウロ・ビエンナーレに参加している。
 
 ここで私が強調したいのは、バリケードで初めて発表した「フロア・イヴェント」と「ウッド・ペインティング」という作品を、1970年代に展開して、日本代表として国際美術展に参加しているということ。つまりバリケードは、少なくとも私にとっては、単なる一過性の破壊ではなくて、創造として機能したのである。しかも、私を支え押し出していったのは針生一郎氏のような左翼系の美術評論家ではなくて、中原佑介氏、故・東野芳明氏を中心としたモダニズム系の美術評論家たちであった。この右派の支持の流れが本書にも収録されている「皇居美術館空想」という作品を生み出し、20歳も年齢差のある建築評論家・五十嵐太郎氏の支持を得て、この作品が2007年六月の第一回リスボン建築トリエンナーレに、これもまた国際交流基金の援助で参加することになる。
 
 さらに2007年11月の新宿オゾンでのシンポジウムで、歴史家の御厨貴(日本政治史。東京大学先端科学技術研究センター教授)氏、原武史(日本政治思想史、鉄道ファン。明治学院大学国際学部教授)氏、そして鈴木邦男(政治活動家、一水会顧問、プロレス評論家)氏の参加での皇居美術館シンポジウムに結びついているのである。
 
 とは言っても、私が追求してきているのは、右翼でもなければ左翼でもないのである。それは右翼と左翼に分裂する前のニュートラリティである。このニュートラリティについてはネグリ/ハートの『帝国』でも指摘していることなのだが、《近代》こそが分裂を生み出す時代であったのであり、近代以前においては、分裂はなかったのである。この始原の中庸性の中にこそ真実があると、私は感じるのである。本書に収録されている「皇居美術館を空想する」という提案は、明治維新以来の日本の《近代》を否定して、日本の中に始原のニュートラリティを回復するための祈りというべきものである。
         
         ※
 
 本書には、美術から歴史、映画、音楽、書道という広範で、一見雑然として、相互に何の関連もないように見える文章が集められている。しかしながら、実はそれぞれ具体的な題材の底に、変幻と自在を貫く一本の太い線が脈々と流れているのである。本書は年代順の配列を取らなかったが、年代順に見ていくと、先の1975年から20年を経た1995年のオウム・サリン事件を期に、大きな発展がうかがえる。1995年は日本の敗戦後50年の節目であって、阪神・淡路大震災の年でもあり、これを機に、日本は脱戦後時代へと大きく変貌し、「一億総中流」の時代から、「格差社会」へと舵を切っていくのである。
 
 「媚びと土星」という美術小説をもって本書の序にかえたのも、ほかでもない、それがある意味での1990年代を主導した美術評論家・椹木野衣氏を批判した「悪魔主義美術批評の誕生」の導入をなすからのことである。椹木野衣氏もまた、オウム・サリン事件に大きな影響を受けているライターであった。そのオウムの影響の結果、椹木野衣氏は「1945年8月15日、日本列島の上には雲一つなかった」というファンタジーに満ちた敗戦のリセットの「青空」を空想して、主張した。私は、わざわざ気象庁にまで出向いて確認したが、残されている2枚の天気図が指し示すのは、この敗戦の日の北海道は雨が降っていたことである。確信犯の悪意に満ちた虚偽のデマをもって、日本の歴史と文化のありもしないリセットを主張して、美術史の断絶を描き出す椹木野衣氏のこうした記述への怒り。「媚びと土星」という小説が、私の一貫する《歴史的理性》の追求にとっても、その裏に流れる鬱病的心理的懐疑を描き出した文章として、それは一個の象徴的意味を担うと思われたからである。
 
 椹木野衣氏の『日本・現代・美術』に対する反措定として、然らば私の大胆かつ巧妙に展開する境地とはどのようなものであったのか?  答えは、本書を実際に繙かれた読者諸賢のそれぞれ胸中に存するところであろうが、少なくとも私の精悍にして不屈の意力に或る感銘を覚えた読者なら、『彦坂尚嘉のエクリチュール』といういささか突飛なこの表題をも、必ずや、その意のあるところを汲んで諒として下さることであろう。
 
 しかしこの《エクリチュール》という概念は大層つかみにくい。まずは定評のある辞典類を覗いてみよう。岩波書店の『哲学・思想事典』によると「『文字』『書記言語を意味する』」とある。さらにデリダの『声と現象』を参照しつつ、「一切の記号作用のみならず意識作用も可能にする痕跡やマークとしての原─エクリチュールを提唱する」とある。したがってデリダ的に《原─エクリチュール》までの視野を入れれば美術家としての私の作品まで含まれることになるのだが、本書『彦坂尚嘉のエクリチュール』が対象にしているのは、あくまでも紙に活字で印刷された文書という用法に的が絞られている。
 
 以前に『反覆・新興芸術の位相』(田畑書店、1974年刊)という単行本に収録された文章は、ひとつも入っていない。ウェブ上で書いた文章も、一切入っていない。また対談や座談会の類も、完全に省いている。
 
 出版物に掲載された活字になった執筆文章だけを三和書籍に持ち込んだのだが、編集部でカウントしたところ101万文字あった。自分でも驚いた。400字原稿用紙で2500枚を超える文章を書き続けながら、しかしながら私は、自分を執筆者として自覚することなく来た。それは、一つにはあくまでも私は美術家であって、その文章も美術に従属しているとしての自覚であったし、もう一つは美術評論家や、学芸員、美術史家への遠慮であった。しかしこの遠慮が消えた。消えたのは、年齢が還暦を超えたことと、もう一つはソヴィエト崩壊後の時代変化と正面から向き合うことなく、滅びの道を唯々諾々と進む日本の現代美術界(=旧派)に、あいそが尽きたからである。時代変化、環境変化、技術変化を対象化し、これを芸術表現の問題として正面から取り組むことはコンテンポラリーアートの基本であると思う。そしてまた、自分の生まれた母なる時代の外へと出て行く、つまり歴史的に《出産》されることは、人間の自立化の過程として重要なものなのである。だが、日本の現代美術守旧派の多くの人々は、この出産を拒否したように、私には見えた。美術評論家も、学芸員も、画廊も、作家も、だらしないように見えたのである。
 
 ホタルは集団で光り、そして消えることを繰り返す。「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という群れの《同調性》のもとにしか、日本の旧・現代美術界は動かないように見えた。そして、大量発生したネズミは海へと集団自殺をするように、集団で滅びていく。それは太平洋戦争の日本人の集団性として、体験済みのことであった。故・江藤淳氏の指摘のように日本は再び「第二の敗戦」へと、ネズミのように群れて、海に消えていくのである。小泉内閣において急速に進行した「公営組織の法人化・民営化」の一環である「指定管理者制度」の2003年公布とともに、なすすべもなく日本の現代美術界(=旧派)は息の根を止められた。日本現代美術の《近代》は終わったのである。
 
 だとすれば最後の思想戦を、単独で展開するしかない。というわけで本書の刊行が目指されたのだが、その道筋を付けてくれたのは美術家の佐々木薫さんと伊東直昭氏のご夫婦であった。彼らと担当の編集者となってくれた大谷渥子さんのご主人の大谷武豈氏は、ともにBゼミ・スクールという横浜にあった小さな美術学校の主催した夏期講座で、私の授業を受けてくれた縁であった。101万文字すべてを一冊に収録するという大著の出版を目論んだが、しかし不可能ということで、2段組1頁1200字で630頁の本の出版を提案してくれたのが、三和書籍の社長・高橋考氏であった。
         
         ※

 本書の編集は随分長い時間がかかった。101万文字の原稿の中から長い順に論文を選んで収録する方針で、短いものは切り捨てた。当初、書き下ろしで収録する予定だった原稿が260枚を超えても終わらず、途中で入稿し、初校が出た段階でも加筆執筆が止まらず360枚を超えてしまって、やむをえず収録を断念した。したがって書き下ろし原稿はない。
 
 原稿は最低の校正だけに止めて、加筆改変をしない方針で始めた。特に美術史的に意味を持つ具体論「閉じられた円環の彼方は」や「戦後美術批評の確立」、そして初期の執筆である「幻想絵画論」、音楽論である「最小限音楽」などは、発表されたままで手を加えていない。
 
 しかし『SAPジャーナル』に発表された「1990年代美術史試論」の場合は、原稿が160枚を超える長いものであるとともに、時事的な若いアーティストへのコメントの部分は、時間がたって再読する意味が難しくなっていることもあって、その時事的記述は削除して、中心部分だけに整理した。
 
 また作家論として執筆された文章である「写真の歴史と東洋遠近画法」「失われた日本・失われた妹」「アート・スカトロジー論」「S・Sへの手紙」は、改題したものが多いのと作家の名前をイニシャルに改めて、収録した。それは作家を知らなくても、私の文章そのものとして読み得るのであり、むしろ自立した文章として読んでもらいたいという意味を込めた編集手法であるので、ご理解をいただきたい。

 一つの難問は「奇人・西田半峰の敗北」という文章であった。これは、私が企画主導して編纂した『年表・現代美術の五〇年』(『美術手帖』1972年4月号、5月号)を見た故・山本孝氏(初代東京画廊社長、日本洋画商協同組合第六代目理事長)の依頼で、初期洋画商の調査が、私に依頼されて執筆された。関西の梅田画廊までを含む多くの画商への聞き取りと、そのテープを文字起こしする仕事。戦前の美術雑誌を1頁1頁めくって、広告や移転通知などの雑報を丁寧に読んで捜していくという根気の良い作業が必要であった。こうして何もない状態から、全体の構想や章立て、すべての骨格を構想したのが私であった。そして編集者の椎名節氏を選んで美術出版社に依頼したのだが、その結果は私の執筆状況を無視した過酷な原稿締め切りが与えられ、そのスケジュールの中で、400字詰め原稿用紙を一時間4枚の早さで一日12時間書き続けて10日間、ようやく間に合わせた原稿であった。そして1985(昭和60)年5月15日に一度出版されたが、異議が関係者から出た。そもそも原因は、企画そのものにあった。雑誌『太陽』の「画家と画商」という特集号で、初期洋画商の存在が無視されていて、古い画廊主宰者達の中に初期調査の必要性が生まれて、この出版が企画されたからである。そして関係者から出た異議で、書籍は回収され裁断された。
 
 裁断された文章であったが、にもかかわらず隠れた評価は途切れる事無く密かに続いてきた。その反応に励まされて本書への収録が目指された。もともとこの論文は、初期画廊の活動の歴史的な発掘が目的である。そこで題名を「奇人・西田半峰の敗北」に改め、美術家である私が何故に画商史を調査し書くのかという執筆意図を露わにして、日動画廊の章と、組合史の記述を削除して収録する事にした。こうして初期画廊の活動が浮き彫りになり、何よりも題名が「奇人・西田半峰の敗北」に変わったことが大きい。この文章は化けたのである。        

         ※ 
             
 なお本書の刊行に当たっては、実に多くの方々のお力添えを得たことを付記しておきたい。熱心に出版を勧めてくださった伊東直昭氏、快く出版を引き受けてくださった三和書籍社長の高橋考氏、また初出時に大変お世話になった松田政男、福住治夫、藤田正、故・中村とうよう、椎名節、篠田孝敏、中村麗、故・山本孝、故・内藤裕治、富田瑞穂、中山正樹、小松弘典、田畑幸人、大橋紀生、角雅則、戸村力也、村松弘子、山倉研志、天利道子、大家健史、鈴木ひろみ、南原四郎、藤井博の諸氏。

 さらには「略歴と文献リスト」を作成してくださった坂上しのぶ氏、洋画商協同組合との根気の良い交渉をしてくださった三和書籍の下村幸一氏、書に関してご教示くださり文章をチェックしてくださった比田井和子氏、そして度々の相談相手になってくださった杉山旭、清水誠一、富井玲子、玉田俊雄、武田友孝、浅香文恵の諸氏に心からお礼を申し上げたい。
 
 1970年代から2000年代に及ぶ長期間の試行錯誤の思考経過をとった本書は、したがって、その成立過程で、別の目的のためであったにせよ、多くの人々との情報や意見の交換、さらにはご教示をいただくことを経て出来上がっている。
 故・高松次郎、故・斎藤義重、清原啓一、故・松本英一郎、刀根康尚、中里斉、柏原えつとむ、府川次男、中平卓馬、中原佑介、故・東野芳明、針生一郎、峯村敏明、藤枝晃雄、三木多聞、松本俊夫、上野昴志、北川フラム、木村恒久、河村要助、建畠哲、平出 隆、高橋睦郎 磯崎新、五十嵐太郎、新堀学、南泰裕、 山田幸司、橋本純、吉岡誠生、大家健史、松田達、倉方俊輔、米山勇、難波和彦、村田あが、松隈洋、井上章一、加島卓、八束はじめ、布野修司、坂上義太郎、飯沢耕太郎、長谷川尭、天内大樹、大月敏雄、中谷礼仁、上山信一、高岡健、宮台真司、佐々木孝次、原和之、中島義道、福田肇、伊藤啓輔、、外林道子、羽月徹、多木浩二、故・酒井利夫、故・中村敬治、瀬木慎一、谷新、千葉成夫、早見尭、谷川渥、高島直之、浅田彰、椹木野衣、暮沢剛巳、藤原えりみ、伊藤憲夫、美濃ちどり、門田秀雄、山下裕二、村田真、萩原朔美、鷹見明彦、西村智弘、名古屋覚、木幡和枝、ロバート・リード、村田真、小倉正史、菊地敦己、三田晴夫、菅原教夫、故・米倉守、田中三蔵、山本育夫、笹木繁男、中島理壽、青木正弘、藁科英也、小川正隆、故・矢口國夫、尾崎眞人、松本透、光田由里、森口陽、村田慶之輔、是枝開、杉山悦子、原田光、逢坂恵理子、勅使河原宏、本江邦夫、北村淳子、水沢勉、森田一、柳原正樹、岸田恵理、都築正敏、今井圭介、正木基、大谷省吾、山本弘之、黒沢伸、川口直宜、笠原美智子、河田明久、島田康寛、滝沢恭司、横山勝彦、藤井明、林洋子、池田龍雄、中村宏、菊畑茂久馬、故・吉田稔郎、加藤好弘、谷川晃一、最上寿之、山田正亮、吉村益信、河口龍夫、故・建畠覚造、故・土屋武、田中信太郎、福岡道雄、故・堀内正和、中西夏之、李禹煥、宇佐見圭司、山口勝弘、篠原有司男、吉野辰海、工藤哲巳、森口宏一、森口まどか、小倉洋一、中上清、奥山民枝、野村仁、八田淳、狗巻賢二、郭徳俊、北山善夫、流山児祥、堀浩哉、山崎百合子、下次正一、米津知子、故・山中信夫、矢田卓、石内都、宮本隆司、小柳幹夫、故・渡辺哲也、伊藤純子、田窪恭治、高見沢文雄、北辻良央、山田桃子、二村祐子、平岡ふみお、守屋行彬、満田博久、芝章文、海老塚耕一、須賀昭初、島田忠幸、辰野登恵子、中村一美、鈴木慶則、瀧本光國、中川猛、松本陽子、故・林芳史、関根伸夫、故・和田守弘、堀川紀夫、若江漢字、故・榎倉康二、高山登、真板雅文、高木修、前田一澄、小清水漸、原口典之、藤井博、菅木志雄、戸谷成雄、内田和孝、多和圭三、倉重光則、鷲見和紀郎、遠藤利克、水本修二、山部泰司、ヒグマ春夫、藤江民、山本糾、平林薫、故・諏訪直樹、藤堂良浩、岡崎乾二郎、池田修、松居永樹、森田慧、渡辺正宏、大倉康範、猪狩茂、大瀧文子、牛島智子、荒瀬景敏、相田正則、小林晴夫、丸山直文、眞島竜男、石川雷太、弘田一成、風間サチコ、市川武史、鈴木理策、河田政樹、フランク・ロビション、丸山由貴、金田勝一、出口貴子、清岡正彦、大谷有花、栗原一成、黒川弘毅、山崎豊三、越前谷嘉高、大森博之、さかぎよしおう、五味良徳、舟越直木、加藤学、池田孔介、岩間弘、川俣正、会田誠、村上隆、中ザワヒデキ、相原正美、志村みづえ、井村一巳、白濱雅也、加藤力、飯田啓子、朝田公子、佐々木薫、彦坂敏昭、斎藤ちさと、木村昌哉、室坂京子、バンドウジロウ、川島素晴、柏原孝昭、松山賢、エサシトモコ、後藤充、作左部潮、中村シキカツ、本多真理子、岡部徳三、牧島成仁、瀬越義満 加山智章、泉澤章介、安斉重男、桜井ただひさ、酒井義孝、 真壁佳織、井上道子、川島良子、山本豊津、故・向井加寿枝、故・鈴木巴治、平綿のり子、上原誠勇、山口侊子、山本隆志、纐纈君平、上田勉、高垣主一、畑泰彦、八木光恵、渡辺新治、遠藤修一、秋山修、安西敢、葛城薫、森雅美、阪井英治、梶川晋、真倉光子、大村和子、奥野恵、福崎邦昭、福崎平八郎、福崎茂、福崎正道、福崎正作、福崎ヒサ、福崎英一、福崎正幸、小林正樹、田村紗由美、鈴木道子、小鹿倉恵、田嶋奈保子、飛田晶子、西脇妙子、寺嶋裕美子、柳原智子、井出はるか、崩清明、前嶋かおり、二階堂北斗、藤田眞里、池上純子、仲里効、永津禎三、山城見信、藤田みどり、新田健、榎本純子、笹沼俊樹、疋田和夫、伏見修、伏見ルリ、三木重明、柳沢秀和、辻和彦、小西哲哉、各務謙蔵、田淵裕一、中西祥司、長谷川清、故・小島和茂、鈴木完侍、池田昇一、浜崎康彦、若松広正、佐藤秀治、広中ソノ子、松下友紀、大沢亮一、太田丈夫、小林四郎、渡辺泰之助、岩間弘、関内潔、メタ・アナン(以上順不同)。

 これら諸氏との間に交わされた直接、間接の情報交換は、メフィストフェレス的饒舌を必要とする私の頭脳にとっては不可欠であった。ここに御礼を申し上げる。

 本にするに当たっては三和書籍の大谷渥子さんの綿密な献身的編集作業を受けた。本としてまとまったのはひとえにこの作業のお陰である。深く感謝を申し上げる。

 そして最後に、昨年の新宿オゾンでのリスボン建築トリエfンナーレ帰国展関連企画『皇居美術館空想』のシンポジウムにご出席いただいたご縁で、本書の帯に身に余る推薦文をくださった御厨貴氏、原武史氏、そして鈴木邦男氏に、深く感謝したい。
 
            2008年4月                                  
                                彦坂尚嘉   

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
このブログの読者には、
著者サイン入りの本を、
送料を私の負担でお送りします。

さらに付録で、
皇居美術館空想の小さい画像作品
(インチ版のマット付き。手書きドローイング入り、サイン入り。)
をプレゼントで付けます。

5月20日出版予定ですが、予約をしてくださった方には、
さらに、おまけで、
手書きドローイング+サイン入りの小冊子『彦坂尚嘉2008年連歌』(A6版16頁)
をお付けします。

下記に個人メールください。
間際に
振込先の口座番号を返信します。

迷惑メールに入ってしまうことがあるので、
「本の予約」と書いてください。
返信が無ければ、このブログのコメントに書いてください。
hiko@ja2.so-net.ne.jp
      


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『美術手帖』のための写真 [自作紹介]

彦坂尚嘉2.jpg

彦坂尚嘉 Naoyoshi Hikosaka
「超ひも理論」の考察/《超ひも》と木目の類似性について
(ウッドペインティング+オイルペインティング)
 2008年、194 ×194 ㎝ 木紙、油彩、キャンバス

新作です。
会田誠さんには、受けないだろうと思う。
いやそれだけでなく、ほとんどの人に受けないだあろうとは思う。
それでも作るのも,困ったものである。
画像の作品は120号の正方形。10号2点。50号1点。

木紙といわれる、木をスライスして紙のように薄くしたものを、
キャンバスに貼ったウッドペインティングです。
油彩という油絵の具を使えばオイルペインティングですから、
木の紙を使ったウッドペインティングというものです。

写真の発色が、それほど良くなくて、
実物はきれいな黄色で、もっと分かりやすい。
写真ではせっかくの木目も見えにくい。

これは会田誠さんの言うネタもので、
超ひも理論という、
そういう分けの分からないものを、
私なりに木目との類似性をもって考察したという、
作品です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彦坂尚嘉30.jpg

彦坂尚嘉 Naoyoshi Hikosaka
出現(ウッドペインティングによるプラクティス)
2006年、175×124×24㎝ 木に油彩とアクリル

この作品も会田誠さんや、多くの人々に受けない作品だが、
私のコレクターたち数人の中では、評価の高い作品。
これ以降、ウッドペインティングが再度人気を少しずつだが持ち始めている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
美術手帖の編集部・川出絵里さんから、
以下の様な写真の依頼があった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日はとても刺激的&興味深いお話を、ありがとうございました!
遅ればせながら御礼まで。。。


さて、その節にちょっとお願い申し上げた、
作品お写真の件ですが、その後いかがでしょうか?
おそらく1点のみ(紙幅が許せば2点)、掲載させていただきたいと存じます。
確か、先日のお席では、ソフトマシーンでも展示なさっていた、
オレンジと赤のペインティングなどが候補として挙がっていたかと存じますが、
いかがいたしましょう?
「1点掲載ならこれ」「2点なら、これとこれ」と、優先順位含め、
お教えいただければ幸いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
電話でも川出絵里さんと相談した。
実は新作は、ぎりぎり本日、デジカメで撮影を間に合わせた。
夜に白濱雅也さんが来てくれて、撮影してくれたのだ。

川出さんの話だと、
会田誠さんとの座談会の記事が面白いので、
作品写真は小さくなると言われて、
良いですよと、答えた。

それでも1点は写真を載せてくれるというので、
一応2点用意した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
s
たまには作品制作の話をしないと、まずいので、
次回の個展と2人展が、6月に同時にあります。

個展はギャラリー手です。

前回が小さなものばっかりでしたので、
今回は大きい作品も用意しています。

中規模のウッドペインティングと、
掲載図版の大きいキャンバスの作品(120号正方形)です。
既に述べた様に
10号のキャンバス、50号のキャンバスも完成しています。
小さいウッドペインティングも用意しています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

二人展は,南泰裕さんとマキマサル・ファインアーツでやります。
南泰裕さんは建築家です。
会期は6/7-7/3の4週間
2年前にギャラリー手で一度2人展をやっていますから、
今回は2度目です。

こちらは皇居美術館の高さ2メートルのFRPの模型彫刻を中心に、
建築関連の作品を出品します。

南さんの企画で、2つのギャラリー・トークもやる予定です。



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