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美術品の善し悪しについて(立教大学大学院講義・言語多文化学習・第1回目の1/校正1) [アート論]



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ニコラ・プッサン アルカディアの牧人たち 1638 - 1640頃 ルーヴル美術館
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美術品の善し悪しについて

美術作品の良し悪しの判断っていうのは、大変に難しいのです。多くの人は、専門家も含めて、実は良く分からないというか、判断ができない状態にいます。

にもかかわらず、現実の中での流行や、多くの人々の表面的な直接の反応の中で、評価が生まれて、さらにそこに時間が流れて、時間の中での淘汰によって、ある意味で自然に評価が定まっていくというものなのです。

それは、本当に自然に似ていて、雨が降って、その雨水が、低い方に流れて行って、雨粒が自然に集まって行って、小さな川になり、その小さな川が次第に集まって、大きな川になるように、美術作品の評価が定まって行きます。

 ですから、評価そのものの決定には、時間がかかります。多くの人々の判断が、その時間の流れの中で影響し合いながら、進んで、決まって行くのであって、そうした自然性は無視できない力を持っています。

【続きは下記をクリックして下さい】

 時間の流れの中で評価が決まって行くと言いましたが、
その時に、時間と言うのは、何なのか?
と言う事が問題になります。
実は、時間論というのは、哲学の中でも躓きの石でありまして、
むずかしいのです。

ここでは時間論をやるのが目的ではないので、美術品の善し悪しを
決める問題として絞って考えて行きます。

普通に一番多く使われるのは、作品を買って、部屋に置いて、
毎日見て行く事です。
1度目に見て良いと思った作品でも、繰り返し見て行くと、
作品が変わって見えてくるのです。

毎日見て、3ヶ月も見ると、その作品の善し悪しが、
かなり分かって来ます。

こういう方法は、実は多くの画商さんがやっている方法です。
新人の安い作品を買って、こうして3ヶ月ほどで判断して、
その作家を扱うかどうかを決めるのです。

美術館の学芸員も同様の事をしています。美術館にかけると、
毎日見るからです。そうすると作品の評価が変わってくるのです。

美術館で作品の監視員をしている人と、このような話をしたことが
ありますが、その人も作品が、繰り返し見る事で評価が変わってくる
事に気がついていました。

音楽でも同様なことがあって、繰り返し聞いていて、
飽きてしまって、評価の下がるものがあるのです。
こうして作品の評価は、繰り返し鑑賞される事で、
変わって行くのです。

こうした原理が、一番はっきりするのが性的な表現です。
つまりエロ写真やポルノ写真、そしてエロ小説やポルノ小説の
場合、最初は刺激があって引きつけられるのですが、
繰り替えし同じものを見たり読んだりすると、
急速に詰まらなくなって行きます。
劣化して行くのです。

つまり反復の中で、劣化する表現が存在するのです。
その代表が、こうした猥褻な画像や文学なのです。

反対に、最初見るとつまらなく見えるものが、
繰り返し見て行くと、良くなって、評価の上がって行くものが
あります。
それが名画として歴史的な評価の高い作品なのです。

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問題なのは、こうして繰り返し鑑賞する人と、
そうではなくて1回見て、感動して終わる人との2種類の人種が
いるのです。

繰り返し見て行く人種が、専門家の人です。

実は、繰り返し見なくても、
凝視していくと、見え方が変わります。
このことは哲学者のバシュラールが強調した事でもあります。

凝視して行ける人が、専門家の人なのです。

多くの人は、実は凝視も出来ないし、
繰り替えし鑑賞する事もできません。

もっとも専門家にも2種類がいて、真摯に自分の繰り返しの
鑑賞の体験を深めて行く本当の専門家の人と、
外面的に専門家のフリをしている、つまり偽善者のような専門家と、
2種類の専門家がいます。

繰り返し鑑賞することによって、
変化する自分の感性と、真摯に向き合わなければ、
本当の芸術判断はできないのです。
そのためには、自分自身に対して正直でなければなりません。

こうした自分に対する正直さや真摯さは、
実は誰にでも有るものではないのです。

専門家の8割りは、外面だけが専門家の偽善的な専門家でして、
2割り程度の少数者の中に、本物の専門家の人がいます。

さて、こうした真摯な専門家の評価と、

多くの1回見ての刺激で、評価を決める多くの素人がいて、
多数決では、多数者が、常に勝利するという民主主義の愚民政治的
システムが、実は芸術の価値評価も決定する時代になっているのです。

愚民による、根拠なき芸術判断という状況が、
今日の情報化社会の文化状況なのです。

愚民による偽せの芸術の時代というのが、現代だと言えます。

なぜに、偽の芸術の時代になったのか?

一つは民主主義の拡大です。
民主主義が拡大して愚民政治の時代になった故に、
芸術もまた、多くの人々に愛される作品が、
評価の高いものになったのです。

つまり2重化したとは言えます。

愚民に愛される偽の芸術と、
少数者に尊敬される《真性の芸術》とに、分離がされる時代に
なったのです。

愚民に愛される偽の芸術は、
特徴として、努力しなくても理解できると言う事です。
つまり教養がなくても、理解で来ます。
外面的な偽善主義者のように、偽の芸術家が跋扈するのです。

それに対して少数者に尊敬される《真性の芸術》は、
学習と努力、鍛錬、訓練を経ないと、
理解する事が出来ないのです。

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人間が生きて行くのには、苦痛があります。

人間は、何によって救われるのでしょうか。

また何処にいったら救われるのでしょうか。

苦しんでいる人が、《真性の芸術》に救いを求めます。

すぐれた《真性の芸術》は、人に救いを与え、そして生きる活力を
約束するのです。

しかし多くの芸術作品と称するものを鑑賞しても、
救くわれないのは何故か?
それは多くの芸術家、芸術を職業とする人々が、《真性の芸術》を
閉ざしているからです。

偽の芸術を評価する美術評論家、そして美術史家、美術館の学芸員は、
災いなのです。

彼らは、人生の救いとしての《真性の芸術》を閉ざし、自分も見ないし、
《真性の芸術》を見ようする人に、見せようともしない。

《真性の芸術》を評価する芸術批評と、
そして新しいオールタナティブな、インディーズ・ギャラリーと、
《真性の芸術》だけを集めたオフ・ミュージアムが必要なのです。



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縷衣香

苦しんでいる人が、《真性の芸術》に救いを求めます。


すぐれた《真性の芸術》は、人に救いを与え、そして生きる活力を
約束するのです。

まったく同意です。
アートとは何か?
普遍性。時代と地域を越えて魂に直接揺さぶりかけるアート。
本物の時代が始まると思ってますが、評論家はどうして目がご不自由なのでしょう?



by 縷衣香 (2009-05-30 13:53) 

NO NAME

大変、勉強になる記事でした。
彦坂氏の芸術に対する真摯な
姿勢に、脱帽です。
ありがとうございました。
by NO NAME (2009-05-30 14:47) 

アルテ

本当にそうですよね。
私の祖父は明治生まれでした。祖父からは一本筋の通ったリベラルアーツ
といえる姿勢が感じられました。おおきな影響を受けました。
いま、私の周りにはそういう人が少なくなったように思います。

技術や作法の根底には、ものの考え方を養うということがあるはずです。
楽な生き方から勇気は育たないですよね。そういえば、「襟を正す」という言葉はトキのような存在ですね。
by アルテ (2009-05-30 15:53) 

ヒコ

縷衣香様
コメントありがとうございます。社会の8割りの人々は、外面だけで、物事を考えています。アートというものも、偽善的に、外面だけで芸術ぶれば良いと思っているのです。

NO NAME 様
ご評価ありがとうございます。
感謝です。

アルテ様
偽善が社会の8割を動かしている事。それは芸術も同様であって、偽善アート、つまり偽の芸術というので、満足しているのです。このことを打破することは、ある意味での情報化社会での新しい芸術運動であると言えます。
by ヒコ (2009-05-31 10:33) 

じゃむ

彦坂さま

最近読んだ本があります。
この本はギャラリーを経営なさっている方が書かれたもの。
中には、奈良、村上、草間、宮島といった大変有名な作家さんたちが出てきます。
売れる作品が良い、素晴らしい。と書かれています。
つまりは、売れない作品は良くない作品だという事になります。
私は同意できませんでした。
素晴らしい作品の中には、どうしても売れなさそうな、買えない作品というのがあると思うのです。
私が実際にそのような作品に出会った経験から言ってます。
by じゃむ (2009-05-31 20:54) 

ヒコ

じゃむ様
美術史を見れば、売れなかった作品に中に、数多くの名作が会った事は確かです。そのギャクに高額で売れた作品に、凡作があったことも歴史的な事実です。その画商は、教養が無いのです。
by ヒコ (2009-05-31 22:06) 

MIZUTI

以前イタリアに行ったとき、ミラノのダビンチの最後の晩餐と、パドヴァのジョットの礼拝堂の壁画群の鑑賞が、両方とも予約を要して、僅かに15分しか許されませんでした。
いかに画集があっても、実物の鑑賞は大切ですし、建築と切り離せない美術もあるというのに、あまりに時間が短すぎます。
「美術の民主化」の前には、凝視派は辟易でしょう。
裾野が広がれば頂が高くなる、という訳にはいかないし、むしろ逆なのが美術でしょうか。
by MIZUTI (2009-06-09 20:25) 

ヒコ

MIZUTI様
予約制になっているとは知りませんでした。
by ヒコ (2009-06-11 01:24) 

クレジットカード現金化

ショッピング枠を現金に換えたいさいは御比較下さい。
by クレジットカード現金化 (2011-05-24 15:41) 

gatsby20080

41次元だかなんだかわかりませんが面白い理論を展開していらっしゃるようですね。
かなり個性的なことをおっしゃってるわりには支持者が多いようで驚きました。
あなたが言うように人間は汚い生き物です。私もあなたもその内のひとりですので、あなたの理論や目が正しいとは限らないはずですよね。ですから世の名作を派手に駄作だとこき下ろしたりするのはいかがなものかと思います。派手で商業的です。そういった記事を見て不快になる方もいらっしゃると思いますよ。そも次元だかなんだかわかりませんがそういう風に芸術を言葉で格付けてしまうのは間違っていると思います。そもそういうことをすること自体あまり芸術的とは言えないのではないでしょうか。
by gatsby20080 (2011-08-05 18:59) 

ギャル店員に勃起チンポを見せつけ

gW9Ggg7R, gal.ex-navi.biz, ギャル店員に勃起チンポを見せつけ, http://gal.ex-navi.biz/chijo/103.html
by ギャル店員に勃起チンポを見せつけ (2011-09-28 12:22) 

toyota

大変、勉強になる記事でした。
彦坂氏の芸術に対する真摯な
姿勢に、脱帽です。
ありがとうございました。
by toyota (2011-11-10 03:56) 

話、おもろいじゃん

ゴッホに駄作が多い指摘は、好感が持てました。天才画家を美辞麗句でほめそやす「芸術つう」ブログが多い中、2次元と4.1次元の違いを書く珍しい記事でした。4.1次元相当こそが、本物の芸術創造ゆえに嫌がる人が圧倒的に多いのが現実ですね。そしてその嫌い方が、この記事の「美術鑑賞時間のからくり」に通じるのでしょう。

ちまたの「芸術つう」も底が浅いもので、名作探訪記もよくみれば印象派の具象まで。コンテンポラリーどころか、ピカソにもはじかれる狭い感性で「きれい画」の追っ掛け。19世紀ゴッホと21世紀アートを話でつなげる著者は、どうも美術家のようで、ならばいつか私と2人展をやりましょう。作品が全然違うことを期待しながら。
by 話、おもろいじゃん (2011-12-02 18:15) 

大吉

愚民って言葉を、どう考えて使ってるか知りませんが、
愚民=一般大衆ならば、愚民に好まれない芸術は、真の芸術と呼べませんね。

一般大衆を無視して芸術感だけ重視すると、歌舞伎のように衰退するだけですよ

真の芸術とは、専門家はもちろん、アナタの言う愚民も満足させる作品だと思います。

ブログをざっと読みましたが、アナタは視野狭いですね、「自分が正義」と思い込んでませんか?
by 大吉 (2012-02-02 14:44) 

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立教の大学院で本当にこんな幼稚さがまかり通っているんですか…?
寒気がする…

愚民とは。
by お名前(必須) (2012-03-07 14:29) 

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