So-net無料ブログ作成

直木賞受賞『利休にたずねよ』 [文学]

20090205mog00m200003000p_size5.jpg

今回の第140回直木賞受賞をした吉田兼一の、
『利休にたずねよ』を、買って読み始めている。

吉田兼一は、同志社大学の、
美学芸術学を専攻卒した文学者である。

本屋で立ち読みして、
私がつい買ってしまったのも、
利休の把握の仕方が、
美学芸術学を学んだゆえの、
極めてすぐれた描き方で、感銘を受けたからだ。

利休が好きな私としては、読まざるをえない。

しかし直木賞を受賞していることからも分かるように、
純文学ではなくて、大衆小説なのである。

では、芥川賞の純文学と、この『利休にたずねよ』は、
どこが違うのだろうか。

まず、読みやすい。すらすら読める。
エンターテイメントとして、面白い。
利休の美学の底に、死せる女性を置くのは、
大衆小説家として巧いのである。

問答無用に、よみやすい大衆性を持っているので、
利休に興味のある方には、読み得の本です。

この読みやすさの原因を、私の視点で言うと、
《想像界》の文学である、と言う事になる。
《想像界》の文学は読みやすいのである。

もっとも芥川賞を受賞した川上弘美の『蛇を踏む』は
実は《想像界》の文学であった。

だから現実の《想像界》の文学作品が、
すべて直木賞の対象に限定されているわけではない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

『利休にたずねよ』は、
《想像界》の文学として《1流》のものです。

純文学の《21流》ものを読むよりは、楽しみとしては、
ずっと《気晴らしアート》の良さを持っている。

しかし1/3の真実しか無いのです。
《象徴界》の眼と、《現実界》への視点が欠けている。
だから読みやすい。
これ以上を求めない人々が、大衆と言えます。

さて、話題が飛んで恐縮だが、
大衆音楽の安室奈美恵のアルバムも、良くできていて、
良く出来た万華鏡の美しさで、しかも《1流》の音楽なのです。

《1流》ということで、『利休にたずねよ』と
安室奈美恵の音楽は、同位なのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

彦坂理論では、
この情報化社会は、新《想像界》が上部構造を形成している時代です。

かつての自然採取の《想像界》の時代がシニフィアン(記号表現)
性が強かったのに対して、
コンピューター社会である現在の《想像界》は、
シニフィエ(記号内容)性が強いのです。

このシニフィエ的《想像界》性が、新しさなのです。

その意味で、情報化社会においては、
《想像界》のシニフィエ芸術が、跋扈する。

村上隆の美術作品も、《想像界》の芸術です。
《想像界》の芸術という意味では、
村上隆も、安室奈美恵も、『利休にたずねよ』も同位なのです。

村上隆が《13流》、
安室奈美恵が《1流》、
『利休にたずねよ』が《1流》です。

本来はポップミュージックで《第3次元》であるはずの安室が、
《1流》の《第1次元》で展開していると言うところに、
今日の大衆文化が、村上隆などのファインアートよりも
上位に展開している事の理由なのです。

安室奈美恵は、デザイン的エンターテイメント音楽として、
《1流》は、たいしたものなのです。

そしてまた、大衆文学が、《第1次元》に展開して、
利休の芸術論を絵解きして行くと言う事もまた、
たいしたものなのです。
かつての大衆文学は《第6次元》であったからです。

こうしたことから導かれるのは、
情報化社会では、上部構造には、大衆文化が来て、
純粋美術であるはずの村上隆は《第13次元》に、
下部構造になっているのは、
かなり本質的な構造であるのです。

大衆芸術が、社会の上部構造で、
純粋芸術が、社会の下部構造になっているのです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
bks0902150757000-p1.jpg
山本兼一氏の顔です。
《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の文学者》
《象徴界》の眼で《第1次元》の人格
《現実界》の眼で《第1次元》の人格

《想像界》の人格
気体人間
《気晴らしアート的文学者》《ローアート的文学者》

シニフィエ(記号内容)的人間。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。