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芥川賞受賞・津村記久子 [文学]

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第140回芥川賞を受賞した
津村記久子の『ポトスライムの舟』を読了
しました。

最初は面白かったのですが、途中から読みにくくなって、遅れました。

文学としては、彦坂尚嘉の芸術分析では、
《第21次元》の《現実界》の小説です。
しかもシニフィエの文学ですから、
まあ、極めて今日的な文学です。

書き出しの部分は、

《想像界》の眼で《超次元》の《真性の文学》
《象徴界》の眼で《第21次元》の《真性の文学》
《現実界》の眼で《第2次元》のデザインワーク

《現実界》の文学
気体文学

《気晴らし文学》《ローアート的文学》

シニフィエ(記号内容)の文学

最初は、《想像界》が《超次元》なのですが、
しばらくすると、《超次元》性が消えて、
《第21次元》に転落してしまいます。

そうすると、文章の方はパカパカと書いて行くのですが、
面白く無い。
無意味なのです。

◆2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

派遣労働者の文学です。
工場で機械的な反復作業で働き、安い労賃で働いて、
生活を維持している、
そうした意味の無い生活を生きるということに、
吐き気をもようしているのです。

『時間を金で売っているような気がする』というフレーズを思い
ついたが最後、体が動かなくなった。働く自分自身ではなく、
自分を契約社員として雇っている会社にでもなく、生きていること
自体に吐き気がしてくる。時間を売って得た金で、食べ物や電気や
ガスなどのエネルギーを細々と買い、なんとか生き長らえているという
自分の生の頼りなさに。それを続けなければならないということに。


その直接的な生活世界を、もじどおり《第21次元》という、
人間の直接的な感覚世界だけの領域で描いています。

 自分が人ではなく、ラインだったらよかったのに、と思う。
ほとんど青みがかってさえ見える蛍光灯の光が、コンベアを冷たく
照らしている。ナガセは、膝の上で手を閉じたり開いたりしながら
目を閉じ、深く深呼吸する。
 始業のベルが鳴り、ラインが動き始める。休憩前よりは軽く感じる
手を上げて、流れてきた一本目の乳液のキャップを固く閉めて、
裏表上下とひっくり返して確かめ、ナガセはそれだけをする
人間になる。

この部分は印象的なところの一つではありますが、
その文学は、彦坂が言うシニフィエの文学です。
脳内リアリティの観念性が、ストレートに出ています。

それは、コンセプトは良く伝わりますが、
正確な意味では、工場そのものの描写も充分ではないのです。
ラインの長さも、そのベルトや歯車の姿も、音も、リズムも、
臭いも、工場の広さも
読者の内に意味構成してこないという、
無意味文学なのです。

工場で作業している、その乳液の容器の大きさも、
形も、キャップの色も描かれません。

コンセプトというか、文章の伝達的な意味は伝わって来ますが、
それが、詩としての背後の意味を欠いているのです。

しかし、この工場労働での、妄想や欲求の描写は、たいへんに
すぐれていて、《第21次元》という超越性を欠いた文学として
傑出しています。

生白い左腕の内側を眺めながら、ナガセは先週自分に必要だと思えて
ならなかった、その腕に刺青を入れることについて考える。どうして
あんなに刺青を入れたかったのだろうと。

入れ墨をしたくなる話や、
大型汽船での世界旅行への欲求など、
人間が生きる時の、
気晴らしの欲望を描いたものとして、感銘を受けました。

しかし工場を離れてからの人間関係の執筆では、
かなりの筆力ながら
それが執筆機械とも言うべき作動の仕方で、
《現実界》の文学の、
無機質性が、読みにくさ、意味の通りの鈍さとなって、
読書の体験をつまらなくしています。

しかし読了すると、奇妙なさわやかさあって、
読んで良かったと思わせられます。

純文学であるという手応えはあります。
機械的とも思える執筆力も、
文学と言うよりも、脳内の言葉がそのまま出て来た様な、
意味の無さが
今日の情報文明下での純文学のボディーとして、
正当であるかのような感慨を覚えました。

◆◆3◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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津村記久子の顔
《想像界》の眼で《第21次元》の人格
《象徴界》の眼で《第21次元》の人格
《現実界》の眼で《第2次元》の《真性の文学者》

《現実界》の人格
気体人間
《気晴らし人間》《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

文学者として真実を書いて行くという、そういうタイプではないと
彦坂の《言語判定法》では判断します。

逆に、だからこそ、意味を欠いて、無意味な今日の人間の生活世界を
機械のような執筆力で描き続けて行く人なのだろうと思います。


『ミュージック・ブレス・ユー!!』で第30回野間文芸新人賞受賞。
「ポトスライムの舟」で第140回芥川賞受賞。

すでに7冊の単行本を出している実力派です。

君は永遠にそいつらより若い(筑摩書房、2005年)
カソウスキの行方(講談社、2008年)
婚礼、葬礼、その他(文藝春秋、2008年)
ミュージック・ブレス・ユー!!(角川書店、2008年)
アレグリアとは仕事はできない(筑摩書房、2008年)
八番筋カウンシル 朝日新聞出版、2009
ポトスライムの舟、講談社、2009

◆◆4◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

書き初めの部分の《超次元》性を持つ執筆の良さは、
内容的には、一度書き上げてから、再考しての執筆の良さだと
思います。

それだけでなくて、工場のラインで働くという構造的な把握の視点が、
《超次元》性を確保していると思いました。

それに対して、工場を離れた人間関係に対する視点が、工場の場の
ような構造性に対する視点を欠いているのです。

ただ距離の無い直接性の生活世界だけで、それが今日ではどのように
構造化されているのかが、見えていない。

離婚が描かれているのだが、家族が解体して行くというそういう
拡散への把握が、
構造として出現して来ていないのです。


津村 記久子は1978年生まれ、31歳。
大阪府出身。
大谷大学文学部国際文化学科卒業。

9歳の時に両親が離婚しています。
大学を卒業して初めて勤めた会社では、
上司のいじめを苦にして9ヶ月で退社した経験を持っているという。

そうした経験が、直接性だけでに人生を捉えてる、
距離の無い視線を形作っていて、
その意味で《第21次元》文学としてリアリティはあるのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
註:
《第21次元》というのは、人生の愛欲の次元です。
歌謡曲で言えば、高さのある美空ひばりではなくて、
低い世界の直接性で成立している小林幸子の歌。

美術で言えば中国現代絵画が《第21次元》です。

もっと直接には荒木経惟の写真が《第21次元》です。

食物で言うと、中国人がやっている中国料理屋の味です。
油ッ濃いし、味の元が使われ、塩分も多い。

津村記久子の《現実界》の《第2次元》性とは、
技術領域です。
津村の執筆は、そういう意味で極めて技術的なのです。

そして《第2次元》と、《第21次元》は、実はループをつくて
います。
つまり《第2次元》が倒錯すると、《第21次元》になります。

つまり津村記久子の文学の構造は、実は文学を書いて行くという
そういう技術に依拠した、
溺れの構造を持っているように思います。

いや、逆なのかもしれません。両親の離婚や上司からの苛めを受ける
という体験の逼迫性が、文章を書くという技術に転倒して来たのかも
しれないのです。

彫刻で言うと、佐藤忠良の彫刻のような世界です。
技術だけで作られた彫刻。

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タグ:津村記久子
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カメラの前でガチフェラガチ本番まで披露

>H3ymZMe, www.galmovie.org, カメラの前でガチフェラガチ本番まで披露, http://www.galmovie.org/143.html
by カメラの前でガチフェラガチ本番まで披露 (2011-06-14 01:37) 

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