草間弥生の作品の価格変動 [アート論]

草間弥生のカボチャのキャンバスゼロ号である。
これはネットで無断で持って来ているので、
これから書く価格の話は、この作品の事ではなくて、
別の作品である。
草間のカボチャのゼロ号の価格が、
昨年末に、240万円で、ピークを付けた。
草間の作品というのは、長い間、低価格を低迷して来ていた。
ニューヨーク近代美術館での回顧展の後でも、
それほどの高価格では無かった。
なぜに、高くならなかったのか?
作品が悪く、質が芸術として良くないからである。
東京都現代美術館の回顧展の後でも、
安かったのである。
草間の作品が、高価格に暴騰を始めたのは、
この最近の現象である。
私は価格ウオッチャーの専門家ではなくて、
美術家としては、まあまあ1970年初頭から見て来ているからというだけで、
直接売買している専門家の様に詳しい訳ではない。
その私のレベルで、理解できるのは、
この新世界の中で、新しい富裕層が出現し、
新富裕層が出現してきた。
彼らは、成金で、教養も無いのである。
趣味も悪い。
それに金をつかんでも、それだけでは良い作品は買えない。
いくら金があっても、それこそレオナルド・ダ・ヴィンチは買えないのである。
そもそも、ものが、そうやすやすとは出てこない。
ポロックも買えないし、デクーニングでも、かなり大変である。
良い時期のウォホールも難しいから、悪くなってからのものを買いあさり、
だから、悪い作品が高騰して行った。
日本の作家の作品までをも、買い始めたというのである。
草間の、特にひどい作品を高額で、中国人が買うと言う話を聞くようになっていった。
そして、こういう状況に目を血走らした日本のディラーも
走っていて、大阪の話も含めて、聞こえて来ていた。
何人か、そういう顔を見ているが、
人は、金の話になると、顔つきが変わる。
作家でも、高等そうなフリをしていた人が、
作品が3000万円になったという、それも他人の作家の話をしていても、
目つきが変わって、その転売の可能性を、ありもしないのに、
真剣な目つきで話されると、まったく、嫌になる。
画商でも、もうけのことになると、顔つきが変わるのである。
餌を前にした、犬のようになる。
金の威力は凄まじいもので、
人間の愚かさが、集中して現れる。
それを愚かさと見る私の方が間違っているのだろうが、
金になると、人間というのは、悪魔であるということが良く分かる。
事実、悪魔のような暗い鋭い、底なしの嫌な目をするディラーも知っている。
こうした人が、金を儲けている。
そういうものなのである。
人間の本性は悪魔なのである。
確かに金がなくなると、
電話も切られるし、電車にも乗れなくなる。
食べ物も買えなくなって、餓死するしか無い。
金とは、何なのか?
全知全能なのである。
人は金さえつかめば、全知全能の神になれるというのである。
今日の世界に於いて、金は神である。
という訳で、オークションという博打場で、
しかしサブプライムローンの問題から、
現在の石油の高騰で、世界の経済構造は、
根本的な変動を開始した。
そして少しだが、暴落が起き始めた。
草間のゼロ号が、240万円から130万円に落ちて、
110万円が消えたのである。
110万円が、スーート消える世界も恐ろしいのだが、
しかし、もともとがあぶく銭であって、
消えるのである。
私なんかは、草間が嫌いだから、せいぜいが、1万円程度の作品なのだから、
底なしに、暴落することを、望む。
まあ、とにかく、私の回りには、草間弥生に熱狂して、
彼女を評価する、その初期の人々が、何人もいる。
しかし、私はどうしても、草間弥生が、優れた芸術家とは、
思えない。
レオナルド・ダ・ヴィンチと比較して、草間弥生が優れた芸術家である訳ではない。
ピカソと比較しても、草間は、とんでもなく落ちるアーティストである。
マチスと比較しても、マチスは《一流》の作品を多く描いているが、
草間はすべて《6流》である。
ラウシェンバーグの《超1流》の作品と比較しても、まったく落ちる。
《6流》という意味では、ジャスパー・ジョーンズとは、
どっこいどっこいの画家だが、しかし、ジャスパー・ジョーンズは、
草間のように、大量の売り絵を量産するほどには、ひどい事をしてはいないのである。
それに彼女の様に、キッチュではない。
ジェフ・クーンと比較しても、草間は、格段に落ちる。
草間弥生の作品は、
彦坂尚嘉の《言語判定法》では、《6流》で、
しかも実体的である。
しかし非合法的ではあるので、
まあ、まったく芸術ではないとは言えないのである。
だがだが、しかしである。
《退化性》という視点をいれると、草間弥生は芸術ではないのである。
確認したが1950年代の作品図版を見ても、良くないのである。
私は、草間弥生は、芸術作品では、まったくないとは言えないのだが、
しかし芸術作品として、人類史の中で見ると、良くないものだと思う。
多くの人が草間を好きなのは、芸術が分からないからである。
彼女の様な、アウトサイダー・アーティストに、
その芸術コンプレックスの救いを見いだしている。
そういう人たちは、偉大な過去の芸術家が、嫌いなのである。
だから私の回りの美術関係者は、みな、彼女を担いできた。
この担ぎ手には、某美術館の館長もいれば、美術史家も、画商もいる。
つくづくと、こういう世界は嫌だと思う。
趣味が悪すぎるのである。
いや、真剣に芸術の最良のものを、見ようとして来ない人々ばかりである。
まあ、しかし、それが人間の社会というものなのである。
私のような、芸術お宅の為に、この世があるのではない。
まあ、しかし、真剣に、
私は、こういう世界の構造を向き合わなければ、
ならないのである。
これから、
いくつか、こういう深い悩みの記事を書いて行こうと思っている。
どこまで、書けるかは、分からないけれども。
2008-06-03 19:49
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画像のゼロ号のカボチャの絵、私のボスの家の
バスルームに飾ってあります。
そのボスはキュレーターで、私はそのアシスタントです。
私は、「写真で見るより良いな」と感じました。
「そういう人達は偉大な過去の芸術家が嫌い」という部分は、
どのような根拠から、そう思われる様になったのでしょうか?
彼等は、確かに一つ上の世代の芸術表現は嫌いますが、
古典的な物は、意外と好む傾向があると私は思うのですが、
どうでしょう?
また、草間氏を過去の偉大な芸術家達と比較して、
6流だとしていますが、アートにおいて、それぞれの作家に
偏差値を付ける様に、比較する必然性があるのでしょうか?
私にとってそれは、
「StarWarsのダース・ベイダーとブルー・スリーとを
闘わせたらどっちが強いかな?」という疑問と同じくらい、
ナンセンスなように感じます。
それぞれの世界観があり、魅力があるのだから、それを一列に
ならべて順位付けする事に意義を感じられません。
by George (2008-06-04 10:32)
「彼女の様な、アウトサイダー・アーティストに、その芸術コンプレックスの救いを見いだしている。」
的確なご指摘!
アニメ系、こどもアート、すべてそうです。
でもそれによって、徐々にですが、美術愛好家の「棲み分け」が始まっているのはよいことだと思います。
by komatta (2008-06-04 13:34)
George様
書き込みありがとうございます。一理あるご批判だと思います。お答えしたいのですが、今、作品の搬入が迫っているので、時間がないので、忘れなければですが、独立したブログで、考えをかかせていただこうと思います。
Kommatta様
住み分けそのものを、私はどうと言う立場ではありませんが、私のやっていることは、反対なのです。Georgeさんがナンセンスというような、広範な領域で比較することが可能な事、そしてそうしないと見えない事を、描き出そうとしています。
by ヒコ (2008-06-05 08:02)
by ヒコ (2008-06-05 08:04)
先日はお疲れさまでした。
「住み分けそのものを、私はどうと言う立場ではありませんが、私のやっていることは、反対なのです。」
そうですよね、ヒコさんが作家であるのを忘れてました。(失礼!)
by komatta (2008-06-09 15:54)
素晴らしい!!
あなたのような芸術が分かる人がいると、こちらとしても嬉しいです。
本物の芸術家は、奈良・村上・そして水玉さんのことは嫌いです。嘘んこの芸術家。
by ppp (2011-08-09 10:13)
だれ?
by 市民 (2012-05-23 04:22)