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川島素晴氏の演奏 [アート論]

2007年10月17日(水)

昨晩は、川島素晴氏のジョンケージの演奏を聞きに行った。

川島素晴企画 eX.6〜ジョン・ケージ《Solo for Piano》完全上演
川島素晴(pf、他)/山根明季子(pf、他)特別ゲスト:橋本晋哉(Tuba、他)
2007年10月16日(火)19:00  渋谷・公園通りクラシックス

演奏されたのは、ジョン・ケージの 《Concert for Piano and Orchestra》 (1958)で、
多様で難解な図形楽譜による、
偶然性時代のケージの記念碑的作品であるという。

会場には、その楽譜の一部も展示されていて、
川島素晴さんに、解説を聞きながら見た。
思ったよりも、その偶然性の音楽の楽譜は恣意的で、きれいだけれども、
疑問を感じるものであった。

きちんと分析的に見るだけの余裕がなかったので、
何とも言えないが、
あの恣意性は、いただけない。

楽譜そのものは、それだけでは演奏できないもので、
川島素晴さんは、そのケージの楽譜を解釈した、
自作の楽譜を書いて、演奏している。

川島さんの書いた楽譜は、視覚的にもすごいもの。

各パートは独奏でも演奏できるので、今回は、ピアノパートの完全演奏に加え、チューバの橋本氏をゲストに迎え、さらに、もう一人、声の出演での参加者が、加わっての上演となった。

とりわけピアノパートは解読困難な図形楽譜を含む膨大な内容のため、
ほとんどの場合は抜粋演奏となっているというのだが、
今回は、このパートの完全上演を試みられて、
2時間あまりの演奏会であった。

まず、川島素晴さんと、山根明季子さんの演奏はうまい。
そして難しい演奏であった。

さまざまな手法が駆使されて、それは豊かなのだが、
聞いている方はしかし、
音楽が意味として構成されてこなくて、
〈現実界〉の中で、無意味に、展開していくのである。

演奏が良いだけに、かなりのもったなさであった。

非常に複雑で、凄い演奏なのに、全く退屈で、
やり場のない無意味性が広がる。
ジョンケージらしいと言えば、そういうしかない演奏会で、
音楽の意味の構成というのは、何であるのかを、改めて、考えさせられた。

この問題を、もっと考えるべきなのである。

そもそもで言えば、ジョンケージとはなんであったのか?
簡単に言えば、ジョンケージをもっと、
素材にすべきではなかったのか?

ジョンケージを顔で見ると、

〈想像界〉の眼で、〈1流〉のイメージ
〈象徴界〉の眼で、〈21流〉《8流》《8流》
〈現実界〉の眼で、〈21流〉の現実

ジョンケージの顔だけで、音楽を判断することはできないが、
参考にすることは出来るように思う。
率直に言えば、たいした顔ではない。

〈21流〉というのは、人間の人生の直接性の世界だ。
下品に言えば、エロの世界。
実際エロ写真は〈21流〉。

写真家では荒木 経惟。
演歌で言うと小林幸子の歌が〈21流〉。
 
歴史上で言うと、中国美術は宋や元で〈超1流〉にたっしますが、その後落ちてきていって清朝になると、ほとんどどれでも〈21流〉美術になります。
今の中国現代美術も、ほとんど〈21流〉のものです。

私のアートの格付けでは〈超1流〉から〈41流〉まで42段階で、トップの〈超1流〉
〈41流〉は対応して、円環を形成しています。
 
〈1流〉と〈31流〉
〈2流〉と〈21流〉
〈3流〉と《11流》
《4流》と《10流》
《5流》と《9流》
《6流》と《8流》
そして〈7流〉だけが、対応するものを持っていない。

〈7流〉というのが、ビジネスの領域です。
 デザインで言うと、電車の週刊誌の吊革広告や、ラーメンと大書しているような伝達だけの広告がありますが、あれはモダンデザインというものでもないもので、あれが〈7流〉です。
 こう見ると、世界の中心のヘソのような世界が〈7流〉というビジネス世界かもしれません。

〈21流〉に話をもどすと、しかし〈超1流〉から〈41流〉までは42段階あるので、〈21流〉というのは、真ん真ん中であります。この〈21流〉がエロの世界で、人生の喜怒哀楽の直接性の世界であるというのも、つまりもっとも低い場所が、この〈21流〉でもあります。

つまり〈21流〉と〈7流〉という、エロ世界とビジネス世界という、二つの世界の一番低い場所がある。

ジョン・ケージの顔が、何故に〈21流〉の顔なのか・不思議ではありますが、彼の音楽が〈現実界〉の音楽になっていることと、関係があるかもしれません。

そもそも、ジョンケージの音楽の教養がどういうものでったのかも、問題なのです。

経歴的には、1930年にパリで建築家エルノ・ゴールドフィンガーのもとで建築を学び、
1934年から1937年まで南カリフォルニア大学でシェーンベルクに師事していますが、何故に建築志望が、シェーンベルクに転向したのか?。

■まず、建築家エルノ・ゴールドフィンガーというのは、何者なのか?


トレリックタワーという建築。
1972年に完成した31階建ての超高層住宅。
これがエルノ・ゴールドフィンガーの作品で、
エレベーターなどの騒音を出す設備タワーと住棟を、
ブリッジで渡した外観は評価も高く、
英国遺産として登録されている。
〈超1流〉の建築です。

http://sumai-machi.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/index.html

さて、このエルノ・ゴールドフィンガーの
顔を見てみよう。
この顔も〈超1流〉の人物。
たぶん〈21流〉のジョン・ケージは相手にされなかったのでしょう。

そして次にアルノルト・シェーンベルク(1874年 - 1951年 )に師事した。
この乗り換えも、たぶん、その頃2人とも有名であったのではないか?
つまり有名人の所に行っただけではないのか?
なにしろ〈21流〉の顔を持つ男ですから、ジョン・ケージの考えるところは、
結構低い動機ではなかったのか?

シェーンベルクの顔は、凄い顔。
〈超1流〉の〈41流〉の〈超1流〉

3人の顔を比べると、
ジョン・ケージは〈21流〉で落ちる。

………………………………………………………………………………
ジョンケージ(1912年 - 1992年)は、アメリカ合衆国の音楽家で、
鈴木大拙に禅を学んでいるひとだが、私はこのことが大きいと思う。

もともと仏教というのは〈象徴界〉の宗教だが、
禅宗は、不立文字を主張して言葉を否定して、
宗教としては〈現実界〉に脱出したものである。

1950年代初頭に、中国の易などを用いて、作曲過程に偶然性が関わる「チャンス・オペレーション」の試みを始めている。
伝統的な西洋音楽の価値観を覆す偶然性の音楽を創始した。
西欧音楽を、〈象徴界〉の音楽から、
〈現実界〉の音楽へと、脱出させたと人と言える。

その後も、20世紀には、〈現実界〉の音楽は、
いろいろなものが、現れるが、ジョンケージが最初の音楽家と
言えるかもしれないのである。

しかし〈現実界〉の音楽がすべて、退屈であるのではないので、
クラシックの系譜の音楽故に、リズムを持たないということが、
退屈さに大きな影響を持っていると言えるのか?

………………………………………………………………………………
昨日の演奏での格付けは、次のようであった。

〈想像界〉の耳で、〈超1流〉〈2流〉《8流》のイメージ
〈象徴界〉の耳で、〈1流〉の《16流》の《6流》
〈現実界〉の耳で、〈1流〉〈1流〉〈1流〉の現実

〈2流〉は技術領域
《8流》は信仰領域
《16流》は廃墟の美、
《6流》は自然領域


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コメント 2

丈

デュシャンとジョン・ケージは芸術上、同じ役割を果たした存在として見えますが、それが〈象徴界〉から〈現実界〉へと脱出させた事にあると理解してよろしいのでしょうか。
by (2007-10-17 18:41) 

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