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再再公開について [告知]

再再公開について

 ブログですが、再再度公開します。

もう記事も古いので、いまさら読んでくださる方がいるとは思いませんが、骨董的な価値が出て来ているかもしれません。

少なくとも私自身で再読していって、少しでも加筆をできればしていこうと思います。イメージするのはモンテーニュの『エッセー』です。まあ、そんなマネができるとは思いませんが、自分の書きたいこと、そして他人には分かってもらえないことを、他人に向かって、少しでも何かを書きたいと思います。

                2016/04/07 20:28  彦坂尚嘉











再公開について [告知]

 彦坂尚嘉ブログ3.jpg

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 再公開について

 昨年 20121120日に非公開にした私のブログを、再公開することにしました。

若い友人からの真摯な説得に、心を動かされたからです。

 印象に残ったのは立教大学大学院の学生の永木三月さん、そして東京芸術大学彫刻家卒のアーティスト:北村達也さんの説得でした。

 何も学閥で大学の名前を出しているのではなくて、大学教育を受けている人が積極的にブログの再度の公開を求めてくれるというのは、考えさせられたからです。

  のブログでの発言に対しては、攻撃が激しくて、5年前に立教大学大学院の特任教授になってからは激烈を極めたのですが、乗り切って、静かになって、大学の 側も理解してくれて問題は生じなかったのですが、私自身が、ブログでの執筆が次第にできなくなって、昨年段階でいたスタッフの進めもあって、閉じたので す。

 あいちトリエンナーレに今年参加したのですが、これはかなりの熾烈な展覧会で、人間関係にも半ダースほどの数の亀裂が入って、多くのスタッフ/友人が私から 去りました。何故にそういうことが起きるのかは良く分かりませんが、たぶん、私の人格の不徳のいたすところなのでしょう。

そういう中で、若いアーティストの北村さん、そしてノイズミュージックの研究者でもあるアーティストの高橋克圭さんのご尽力で、オープンの実務作業がなされた、再公開に踏み切れたのです。お二人には、深く感謝いたします。

最近はfacebookに書いてきていて、ブログが十分に書けなかったのですが、ブログに回帰して、BlogTwitter ,

facebookの組み合わせ連結をする中で、もう一つ踏み込んだ記事を書いていければと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 2013/11/03 19:31

 

 

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非公開の手続きについて

この『彦坂尚嘉の《41次元》』のブログの記事の大半を、本日20121120日の夜に、非公開にしました。

 2007-02-16 00:23に、ドローイング日記としてスタートしたこの記事が、

本日の段階で、記事数:440 で、累計読者数: 5076,486 人ということでした。延べ人数とは言え 507万というのは日本の人口の1/20というのは凄いです。日本人20人に一人という 507万人を超える読者に読んでいただいたことに深く感謝する次第です。

 

ブログの時代という、時代表現とリンクできたことが大きいと思いますが、批評の無くなった現代の中で、これだけの読者を獲得できたことは、実は批評はブログという形で時代を生き延びていたのだと思います。《批評》は、次にはブログという形式を超えて転生をするでしょう。その次の形式とは何か? 電子書籍だと思います。電子書籍の中で、思想はよみがえるでしょう。


いま、何故にdownさせたかと言えば、未だに読者は継続して出現してはいますが、もはや時代はブログの時代ではなくなって来ているということがあります。未整理のままにさらしておくということの是非が問われます。それと同時に次の時代の形式が何であるのかは、私自身も明確に把握できているわけではありませんが電子書籍であると考えますから、そうした新しい次の領域に私自身は飛躍する必要性を感じます。その意味で、本当に次に飛躍できるかどうかは簡単では無いと思いますが、飛躍に向けての過去の整理です。

 

残したのは日記と告知の記事です。普通の人の書く範囲は、こういうものだと思います。そのレベルに縮小したのです。Facebookを見ていても思いますが、多くの人が顔を隠すか、小さく載せて、「基本データー」もほとんど書かないし、情報発信も少ない人が大半です。これを見る限り、日本は近代社会の市民という人々の集団ではないのです。《市民》でなければ何なのか?

《市民》というのは、日本社会という政治的共同体の構成員で、主権を持つ者であると言われます。ですから政治的な議論から逃げる人は、《市民》ではないし、そして主権者であるという前提そのものが崩れるということになります。日本の現在の衰退を生んでいる基本は、こうした《市民》無き社会の無責任性によるものはないかと、思う次第です。

 

 

自分のブログの情報の大半をダウンさせて、多くの日本人と同じにするのには快感があります。同調バイアストという偏見が充たされるのです。飛躍ができるのか、飛躍ができないで死ぬのか、まあ、そのぎりぎりの中で生きていますが、それを面白いと思うし、こうして今まで書いてきた文章=私にとってのアート/芸術を非公開にすることに、マゾヒスティックな深い喜びを持ちます。

 

どうしても1991年からの時代の変貌を、一人の日本人のコンテンポラリー・アーティストとして立ち向かうには、言語で走る以外には速さにおいて方法が無かったのです。このブログを出力して作品として展示しようとしたのですがギャラリーARTの梅谷幾代さんは、全く相手にしてくれませんでした。理解するだけの頭脳や誠実さがなかったのです。彼女の場合、あるのは楠木正成の血統と美貌だけだったのです。まあギャラリーARTという田舎にギャラリーでは無理だったのでしょうが、しかし今の日本で、私の欲望は東京のギャラリーでも通用しないのです。それは認めた上で、延べ 507万人の読者の体験と共に、このブログを凡庸な日本の現状に帰還させたのです。これは一つの葬儀であり、そして時代の真の変貌への祈りであります。


非公開にしたこのブログの内容は、タマダプロジェクトでの彦坂尚嘉の私塾である《ひこさか Light & Heavyアート塾》に受け継がれます。興味のあるかたはふるってご参加くださればと思います。

《ひこさか Light & Heavyアート塾》

株式会社 タマダプロジェクト コーポレーション

住所〒104-0052

東京都中央区月島1-14-7 旭倉庫2F

電話 03-3531-3733

メールtpc@tamada-pj.co.jp

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《ひこさか Light & Heavyアート塾》
   有限会社 前衛実験NETART(旧気体分子ギャラリー)
   〒252-0813
   藤沢市亀井野32311
   電話0466-90-4560
   hiko@ja2.so-net.ne.jp



ゲイムービー


同性愛の映画としては、ダスティン・ホフマン『真夜中のカーボーイ』(1969年)がありました。

この映画はすばらしいものであったのですが、《第31次元》から《第40次元》の映画であったのです。

《第1次元 社会的理性領域》が倒錯した領域が、《第31次元》から《第40次元》なのです。

つまり同性愛を「性的倒錯」と言う事に対する可否の問題は、もしかすると今日あるのかもしれません。私自身は同性愛者ではありませんが、かといって、同性愛者を差別したり侮辱したりする気持ちもありません。私がここで取り扱うのは、ゲイムービの中でも商業的な映画に見られる美学的な傾向性なのです。

ですから、ここで問題にしているのは、同性愛やゲイ、あるいはホモと呼ばれている事象を問題にしているのではなくて、それらを主題にした、いわゆるゲイムービの中で、《第1次元 社会的理性領域》が倒錯した《第31次元》から《第40次元》の領域を示している映画を集めてみるという事なのです。

こういうことに興味を持ったのは、


ゲイ映画としては、2008年の映画ですが、自らゲイであることを公表した活動家ハーヴィー・ミルクの生涯を描いた伝記映画『ミルク』があります。ショーン・ペン主演のすばらしい映画ですが、これもまた《第31次元》から《第40次元》の映画であって、《第1次元 社会的理性領域》の倒錯した美学性を示しています。


3本のアメリカ映画の名作がこのような《第31次元》性を示していると、ゲイ映画はすべて《第31次元》から《第40次元》であると短絡した結論を出したくなりますが、それは間違いです。

 


 


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